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【後編】時空を超えた対談!福澤諭吉とAPU学長・出口治明(でぐちはるあき)が教育を語る

【後編】時空を超えた対談!福澤諭吉とAPU学長・出口治明(でぐちはるあき)が教育を語る

 前回の記事に続き、「もしも現代にタイムスリップしたら?」という切り口で、大分の魅力や教育の大切さをご紹介します。
もしも、福澤諭吉が現代にタイムスリップして、立命館アジア太平洋大学(以下、APU)学長の出口治明氏と対談したらどうなるのか。
後編では、福澤諭吉と出口治明氏の二人がチャレンジ精神の重要性について、また幸せな人生と教育の繋がりについても語ります。
記事の後半では二人のミニコラムも掲載しているので、ぜひご覧ください。

出口治明氏と福澤諭吉がおすすめする「まずはやってみる精神」

出口氏

福澤先生の『文明論之概略』では、日本人のチャレンジ精神についても言及されていますが、日本ではいまだに保守的な考えを持つ人も少なくないですね。

福澤氏

そうじゃのぉ。人民がそれぞれに目的を持たず、自身の身を案ずることを優先し続けた結果、それが日本人の気質になってしまったのかもしれん。

APU出口学長

▲APU出口学長

出口氏

僕もチャレンジ精神については、何事もやってみなければ分からないものが、人生にはたくさんあると思います。
例えば将棋のルールを学んでも、頭の中で考えているだけではダメで、実際に指してみなければその面白さは分からないんですよ。
だから、僕は学生には「迷ったらやる」「迷ったら買う」「迷ったら行く」と言い続けています。
人間が何かを迷うのは、メリットとデメリットが拮抗しているからです。例えば「500円のそば」と「500円の素うどん」で迷うのは時間の無駄。もしも迷ったら素うどんを食べればいいのです。うどんが不味ければ、次からはそばに変えればいいわけです。

福澤氏

まさにその通り!石橋を叩いて渡るだけでは文明の進歩は期待できん。仮に失敗しても失うのは多少の金銭のみで、3度の失敗があっても1度の成功で十分に賄えるわ。

“幸せな人生”と“教育”は繋がっていた!

福澤氏

人間としての幸せな人生には、根底に教育がなければ成り立たん。そのために私は歴史や物理、経済、倫理といった「実学」を学び、自身を高めることを重要なものだと位置付けた。
出口くんの意見も聞いてみたいのお。

出口氏

人の幸福は、人それぞれにあっていいと思っています。出世だけが人生ではないですし、「人生でこれが答え」というものはありません。
人間はみんな違うので、個人がやりたいことにチャレンジする人生が一番素晴らしいと考えています。
人生で、特定の価値観を押し付けられるようなことがあれば、その人にとってそれほど嫌なことはないと思うのです。

福澤氏

価値観についていえば、私も生まれながらに合理的な考えを持っておった。
封建制度の下で商業を見下す様子があったときは、西洋の概念を取り入れた書物を出版し、人民の視野を広げたこともあったのぉ。

出口氏

おっしゃる通りで、知識があれば偏見は少なくなると思います。現在の多様性を受け入れる「ダイバーシティ」の基本的な考え方は、個体差は性差や年齢差を超えるということです。
だからこそ、人間を男と女で分けたり、若者と高齢者を分けてはいけないんです。
「人が全部違う」ということが分かれば、みんなが生きやすい社会になります。若くても老成した人間がいてもいい。歳をとっても僕みたいに「ワクワク、ドキドキが一番素晴らしい人生だ」と思っていてもいいわけです。

ダイバーシティ
知識と考える力を養い、チャレンジしていく

福澤氏

出口くんの考えることは、私とかなり近しいものがある。学問のみならず、新しいことへの取り組みを推進する点も、まさに「日本人らしさ」から飛び出た考えじゃ。

出口氏

ありがとうございます。僕も、福澤先生の書かれた『学問のすゝめ』は名著だと思っています。鎖国の200年間、日本のGDPの世界シェアは半減以下になったファクトがあります。
福澤先生の行った明治維新は200年の遅れを取り戻す運動であり、政府も市民も勉強することの大切さを痛感した時代ですね。

学問のすすめ見開き

▲福沢諭吉著、『学問のすヽめ』初編、見開きページ(提供:福澤旧邸保存会)

福澤氏

第一線で活躍している出口くんが言うのであれば、そうなのであろうな。
まだまだ話し足りない気もするが、どうやら時間が来たようじゃ。
出口くん、最後に今を生きる若者にメッセージはあるかの?
私のメッセージは全て書物の中に残しておいたが、中でも『学問のすゝめ』は感慨深いものがある。初編では親交の厚かった同郷の友人・小幡篤次郎(おばたとくじろう)と共に、中津の青少年に向けて書いたが、学問の重要性について説いたものだった。私たちは中津に学校や図書館を設立するなど、未来の人材を育てるために邁進したのぉ。
ぜひとも大分県中津市をはじめ、今を生きるものたちが読み、これからの時代を生きるため、人生をよくするきっかけになっておれば嬉しいのぉ。

出口氏

そうですね。まずは、『学問のすゝめ』にあるように、広く世界中に知識を求め、柔軟な考え方を取り入れる。そしていろんなことを知り、自分の頭で考え、チャレンジしていくことは僕の人生でも常に大きな学びです。

価値観を押し付けるつもりはありませんが、大分県の皆さんには老若男女を問わず自分の好きなように生きてもらいたいですし、それぞれが好きなことにチャレンジできる県であって欲しいです。
また、APUで教職員や周囲の人が学生の背中を押すように、その人が選んだ人生やチャレンジする姿をみんなが応援する大分県であって欲しいですね。

福澤先生、本日はどうもありがとうございました。
大分で育ち、日本の国力増強に多大な貢献をされた福澤先生がいなければ、今の日本は存在しなかったかもしれません。
僕も、同じ教育者として自分らしく生きつつ、学生の後押しを一所懸命、やり続けていきます。

(前編はこちら)

【ミニコラム①】
出口さんの好きな食べ物やお気に入りのスポット

今回のインタビューで、出口さんが好きな食べ物やお気に入りの場所についても教えてもらいました!
外食や温泉など、ふらっと立ち寄った場所で出会えるかも!?

好きな食べ物①:りゅうきゅう

りゅうきゅう

アジやサバ、ブリなどの新鮮な魚を醤油ベースのタレに漬け込んだ「りゅうきゅう」。ショウガやゴマといった薬味も使われており、口に入れれば魚の旨味がじんわりと広がってくる逸品です。
元々は、漁師たちが獲れた魚の保存や刺身の残りを無駄なく味わうために作った料理と言われています。温かい白米の上に乗せて丼ものにしたり、お茶漬けにしたりと、幅広い楽しみ方ができます。

好きな食べ物②:とり天

とり天

とり天は大分県を代表する郷土料理として、県外にも広く知られています。下味のついたトリ肉を天ぷらにし、ポン酢や醤油などのタレと共に味わう料理。
発祥は別府地域とも言われており、市内にはとり天を提供する店が数多くあります。
大分を観光で訪れる際は、ぜひ食べてもらいたい郷土の味です。

お気に入りのスポット:むし湯

むし湯

別府市にある鉄輪温泉は、出口さんもお気に入りのスポット。湯煙が立ち上る温泉街らしい情緒があふれ、一年を通して多くの環境客で賑わいます。
出口さんが特に好きなのは「むし湯」で、「薬草の上に寝転がる感じがなんとも言えない」のだとか。
一説には1276年の鎌倉時代に一遍上人が開いたと言われています。温泉の蒸気で熱せられた床には薬草の石菖(セキショウ)が敷かれ、その上に寝転がれば疲れた体をゆっくりと癒してくれます。

【ミニコラム②】
福澤諭吉のやんちゃなエピソード

福澤諭吉について、「慶應義塾大学の創設者」とか、「真面目そうな人」といったイメージを持つ方も多いかもしれません。確かに『学問のすゝめ』では人間の自由や平等、権利の尊さを述べていますが、幼少期から晩年まで意外とやんちゃな面を持っていました。
いくつか面白いエピソードをご紹介します。

エピソード1:神社の御神体をすり替えて遊んでた!?
福澤諭吉は少年時代から、神をも恐れぬ合理的な人物でした。
というのも、村の神社では御神体として石を祀っていましたが、その石を別の石と置き換えたほか、飾ってあった札を捨てるなどの行動に出たのです。そんな状況でも村人は気付く様子もなく、諭吉がすり替えた石に村人が拝んでいる姿を見て笑っていたそうです。
これは、諭吉の母が権威に対して懐疑的な見方を持っていた影響で、諭吉も神罰を確かめようとしたのでは?と考えられています。

エピソード2:手塚治虫のご先祖様に偽のラブレターを出した!?
20歳の福澤諭吉は蘭学を学ぶために適塾に入門しますが、勉強漬けの日々を送っているかと思いきや、ハチャメチャな生活を送っていました。
遊女のふりをして、同門の塾生に手紙を出していたこともあるようですが、どうやらこの塾生は、漫画家・手塚治虫のご先祖様だったとか。
さらに、適塾にいた当時はお金の許す限りお酒を飲んでいたほか、文化的に牛肉を食べなかった時代にも関わらず、牛肉が食べられる店で飲み食いしていた逸話が自著の『福翁自伝』に残っています。

エピソード3:大砲の轟音が響くなかでも講釈を続けた!
幕末の動乱期であった慶應4年(1868)年は、福澤諭吉が私塾の名前を「慶應義塾」と改称した年ですが、当時は戊辰戦争の真っ只中。官軍と彰義隊が上野で戦っており、慶應義塾にも大砲の音が届いていたようです。
しかし、大砲の轟音に門下生が慌てふためく中でも、福澤諭吉は講義を続けたというエピソードが残っています。
「動乱のあとは学問が必要となる」と予見していた諭吉は、先見性と大きな器を持った人物だったのでしょう。

出口治明氏の経歴

1948年に三重県一志郡美杉村で生まれ、京都大学法学部を卒業後の1972年には日本生命に入社。
ロンドン現地法人社長や国際業務部長となるも2006年に退職し、2008年にライフネット生命という新しいベンチャー生保を開業した。
2012年に上場。社長・会長を10年務めた後、2018年から立命館アジア太平洋大学(APU)学長として活躍している。APUでは起業部設立や2023年度に向けて新学部開設の準備に取り組んでいる。
著書には『全世界史(上・下)』『哲学と宗教全史』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義(古代篇・中世篇)』などがある。

福澤諭吉氏の経歴

1835年、摂津国(現在の大阪)にあった中津藩(現在の大分)の蔵屋敷で生まれる。翌年に父が死去したため、大坂から中津へと帰藩し、19歳までを大分で過ごした。
1854年には長崎で蘭学を学び始め、大坂や江戸などでオランダ語や築城学、化学といった西洋の勉学に勤しんだ。
福澤諭吉が33歳となった1868年には、江戸の築地にあった蘭学塾を現在の港区エリアに移し、当時の元号にちなんで「慶應義塾」と名付ける。
340万部を超えのベストセラーとも言われる『学問のすゝめ』は、1872年から刊行された名著。そのほかにも『西洋事情』や「脱亜論」『福翁自伝』など、当時としては自由かつ先進的な内容が記されている。