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【前編】時空を超えた対談!福澤諭吉とAPU学長・出口治明(でぐちはるあき)が教育を語る

【前編】時空を超えた対談!福澤諭吉とAPU学長・出口治明(でぐちはるあき)が教育を語る

 今回は日本人みんなが大好き(?)な福澤諭吉が、「もしも現代にタイムスリップしたら?」という切り口で、大分の魅力を紹介していきます!
福澤諭吉といえば、「1万円札の人」というイメージが強いかもしれませんが、中津藩(現在の中津市)で育った彼は明治維新の立役者となり、『学問のすゝめ』にもあるように、教育にも心血を注いだ人物です。
もしも、福澤諭吉が現代にタイムスリップして、立命館アジア太平洋大学(以下、APU)学長の出口治明氏と対談したらどうなるのか。
ライフネット生命を創業し、今では大分県の学生たちに教養の大切さを伝えている出口さんにご協力いただき、教育や教養について伺いました!

前編と後編の2つに分けているので、ぜひ合わせてお読みください。

福澤諭吉と出口治明氏の邂逅
福沢諭吉(提供:福澤旧邸保存会)
APU出口学長
▲左、福沢諭吉(提供:福澤旧邸保存会)右、APU出口学長

福澤氏

今日は、大分で生まれ育った私が「教育」について話す場があると聞いて、現代にタイムスリップしたが、ここはどこだ?

出口氏

福澤先生、はじめまして。大分県にある大学の一つAPUの学長を務めている、出口治明と申します。ここは大分の魅力を発信するWebメディア「We are Oitan」です。
今回は、大分で生まれ育ち『学問のすゝめ』などを書かれた福澤先生と、現在の大分で学長を務めている私の2人で、「教育」の視点から大分のことを話していきたいと思います。

福澤氏

なるほどなるほど。では、まずはお互いのことを知ろうではないか。私の生まれは大坂にあった中津藩の蔵屋敷だったが、1歳の頃から19歳まで大分に住んでおった。当時から合理的な考えを持っており神罰などは信じず、とにかく勉強に明け暮れておったわ。酒もたらふく飲んでいたがのう(笑)。

福沢諭吉旧邸、正面(提供:福澤旧邸保存会)

▲福沢諭吉旧邸、正面(提供:福澤旧邸保存会)

出口氏

僕は歴史オタクなので、福澤先生のことはよく存じ上げています。執筆された『学問のすゝめ』はタイトル自体が明治維新を象徴していて、刊行から150年近く経った今でも十分に通じる内容ですね。
僕のことを簡単に紹介すると、生まれは三重県一志郡美杉村です。京都の大学を卒業後は生命保険会社に勤め、海外での勤務を経た後にライフネット生命というベンチャーを還暦で立ち上げました。
日本で初めて生命保険を紹介したのが福澤先生だったので、何かしらのご縁を感じますね。
社長・会長を10年務め、古希を迎えてからはAPUの学長として国内外の若い皆さんが活躍できるよう、彼らの後押しをしています。

福澤氏

ほう!『西洋旅案内*』のことも知っておったか。今、出口くんは大分に住んでいるようだが、現代の日本や故郷の大分についても知りたいのう。

*慶應3年(1867)に福澤諭吉が発表した「西洋旅案内」には日本初となる近代的な生命保険が書かれている。

APUが日本を元気にしていく起点になる!
立命館アジア太平洋大学(APU)

出口氏

学長に就任する前は、観光でしか大分に訪れたことはありませんでした。けれども、歴史的に見れば、戦国時代のキリシタン大名・大友宗麟が活躍していた時代は、ここが日本の一番の先進地域だったと認識していました。
APUは多くの外国人留学生が入学するため、学長公募時にはいくつかの条件がありました。僕は全てを満たしてはいませんでしたが、誰かに推薦されたのを知り、「面白いからやってみよう」と大学のインタビューを受けたのが就任のきっかけですね。

福澤氏

そうなのか。私は19歳の頃に蘭学を学ぶために大分から長崎へ出たが、私が生きていた時代よりもさらに外国語の力が必要になったんじゃな。

私も20歳を過ぎた頃に、横浜でオランダ語を話したら全く通じず、英語を学ぶことに躍起になったことがあるのぉ。看板を見ても一向に字が読めず、英蘭辞書を片手に手探りで勉強していたわ。

咸臨丸

▲万延元(1860)年 咸臨丸で渡米、帰朝後幕府の外国方に雇われる。写真右端の青年が福沢諭吉。当時25歳。(提供:福澤旧邸保存会)

出口氏

現在の大分は大工業地帯を持っているので、製造業が高いウェイトを占めています。世界的に見て製造業のウェイトは縮小傾向にあるので、一般論としては新しいサービス産業を起こさないといけないと考えています。

そういう意味を込めて、2018年にAPUで起業部を発足させました。「新しいベンチャーやNPOに挑戦していく」というのは、大分だけではなく日本全体に必要なことですね。

福澤氏

私も生涯にわたって「独立自尊」の考えを説き、個人が心身両面で独立してこそ、国や地域の発展に繋がると思っておる。
そのためにも勉学が必要だと考えておったが、出口くんは新しい試みを行っているんじゃな。

教育の必要性をとことん語る!

福澤氏

多様な試みを行っているようじゃが、教育の面ではどう考えておる?
私は『学問のすゝめ』の冒頭で、「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」と書き、人間の差異は学問によってもたらされると説いた。

『学問のすヽめ』全17巻

▲福沢諭吉著、『学問のすヽめ』全17巻(提供:福澤旧邸保存会)

出口氏

その人の人生を豊かにするためにも教育は必要だと思っています。例えば、将棋が分かれば名人戦を楽しめて、藤井聡太くんがかっこいいことが分かります。また、スキーを勉強すれば自分で滑って楽しめるようになります。
何も学ばずして人生を楽しむことはできない、一つ学ぶというのは、一つ人生の可能性を増やすことなんですね。
つまり、学ぶことは人生の選択肢を増やすことだと考えています。

福澤氏

なかなか分かりやすい例じゃな。では、APUをはじめ、大学や教育機関のあり方はどう考えておる?
私が設立した慶應義塾は、現代で慶應義塾大学と呼ばれているようじゃが、智徳と気品を重視しておる。

APU出口学長

出口氏

僕は、大学は地域を元気にするハブだと考えています。また、学生にとって大学がどういう場所であるかというのは、「自分のやりたいこと、自分の興味があることを発見する場所であるべき」です。
最近の脳科学や心理学でも、「どれだけ先生が名講義をしても、学生本人の興味がなければ単位をとった瞬間に忘れてしまう」といわれています。

福澤氏

確かに、自分が積極的に学ぼうとしなければ、何も得られん。「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。」と教え、家庭や社会がどうあるべきかを明らかにしたが、教育者にも出口くんの考えは浸透しているのか?

出口氏

APUの学長に就任して以来、「APUは学生が主人公であり、教職員は学生のやりたいことや学びたいことを後押しする役割だ」と、ずっと言い続けています。
また、在学生や教職員だけではなく、卒業生や地域の皆さん全部を含めて、APUに関わる人々は「APUを良くしたい」と思ってくれています。
だからこそ僕は「One APU」というスローガンを掲げて、学生が学びの主人公であり、教職員や地域の人たちは学生の学びを助ける機能を担うと考えています。

教育や教養を身につけるために必要なものとは
出口学長講義の様子

▲出口学長講義の様子

福澤氏

私が生きていた頃は、西洋の学問などは日本にそこまで広まっていなかったが、現代の学問は昔と様相が異なるようじゃの。
『学問のすゝめ』では教育や教養の重要性を記したが、出口くんは教養をどう考えておる?

出口氏

教養は人生を楽しむためのものであって、【知識×考え方】で生まれると考えています。
「教養=知識×考え方」というのは、料理に例えれば分かりやすくて、「美味しいご飯=材料×調理力」なんですよね。例えば、大分で獲れた魚などの良い材料を集めて、美味しいタレに漬ければ、美味しいりゅうきゅうができます。
どちらかが不足していたり魚が腐っていたりしたら、美味しいご飯にならないのと同様に、知識と考える力のどちらかが不足しても教養は成り立ちません。
一般に「知識は力」ですから、知識不足が人の可能性を狭めてしまうと思います。偏見は無知から生じるので、いろんな知識を得ることで考え方の幅が広がっていくのです。

福澤氏

では、その教養はどうやって身につけておる?

出口氏

福澤先生がこれまで学ぶことに熱心だったように、教養を身につけるには、勉強しかないと思います。勉強は人・本・旅だと考えていて、たくさんの人に会って知識を得たり、その人が考えるパターンや発想の型を覚えたりすることが大切です。加えて、たくさんの本を読む。
旅といっても、海外へ行くことだけではなく、近くで流行っているパン屋さんに行くことも旅だと考えています。考える力もレシピと同じで真似ることから始まるので、パン屋さんになりたいなら、初めは商売の仕方や考え方を真似ていけばいいのです。

福澤氏

私は知識を得るだけでは身につかないと考え、『文明論之概略』では議論や交流の大切さを述べて、様々な人と議論していくことを勧めておる。
多くの者と話し、深めていくことが重要だと考えておるが、それは今も変わらんのか?

『文明論之概略』

▲福沢諭吉著、『文明論之概略』表紙(提供:福澤旧邸保存会)

出口氏

今では「インプット」と「アウトプット」と言われていますが、福澤先生の言う通り、自分の言葉を通して頭の中を整理しなければなりません。
僕が学生に勧めている一番良い方法は、「良い話を聞いたら、まずは友人に喋りまくる」ことです。
喋るということは自分の言葉に直していることであり、アウトプットすることで頭の中が整理されていきます。
さらにいうと、日記やメモに書くよりも、ブログやFacebookの方が効果的です。人間の脳は賢いので、人に読まれることを無意識に感じた方が「恥をかいちゃいけない」と考えて、自然に整理のレベルが上がるのです。

(後編へ続く)

【ミニコラム】
APUが行う日本初の取り組み「民官学の連携」

APUは民官学の連携にも主体的に取り組んでいます。
具体的には、2019年の4月からNHKとAPUとJ:COM大分が3者協定を結び、APUの留学生たちが登場して大分の魅力を伝える番組『APU×おおいた』を制作。大分の民放・J:COM大分とNHKが同時に発信する取り組みを始めました。
2020年には「第16回ケーブルテレビ九州番組コンクール」で、バラエティ・情報番組部門の2部門で、最高賞のグランプリ受賞に輝きました。

出口さんは以下のように話してくれました。
小さな試みですが、民の「J:COM大分」と官の「NHK」、その間に学の「APU」が入ることによって、民間が作った番組をNHKがそのまま発信するという、日本では珍しい試みが実現しました。
大学が民と官の間に入ることによって、現代の日本では民官学のリンケージをより強化できる可能性があると思っています。また、リンケージの強化によって地域を元気にしていきたいと考えています。

学生が行う取り組みを後押しする姿勢が、これからの大分や日本に小さくも大きな影響を与えてくれるのかもしれませんね。

出口治明氏の経歴

1948年に三重県一志郡美杉村で生まれ、京都大学法学部を卒業後の1972年には日本生命に入社。
ロンドン現地法人社長や国際業務部長となるも2006年に退職し、2008年にライフネット生命という新しいベンチャー生保を開業した。
2012年に上場。社長・会長を10年務めた後、2018年から立命館アジア太平洋大学(APU)学長として活躍している。APUでは起業部設立や2023年度に向けて新学部開設の準備に取り組んでいる。
著書には『全世界史(上・下)』『哲学と宗教全史』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義(古代篇・中世篇)』などがある。

福澤諭吉氏の経歴

1835年、摂津国(現在の大阪)にあった中津藩(現在の大分)の蔵屋敷で生まれる。翌年に父が死去したため、大坂から中津へと帰藩し、19歳までを大分で過ごした。
1854年には長崎で蘭学を学び始め、大坂や江戸などでオランダ語や築城学、化学といった西洋の勉学に勤しんだ。
福澤諭吉が33歳となった1868年には、江戸の築地にあった蘭学塾を現在の港区エリアに移し、当時の元号にちなんで「慶應義塾」と名付ける。
340万部を超えのベストセラーとも言われる『学問のすゝめ』は、1872年から刊行された名著。そのほかにも『西洋事情』や「脱亜論」『福翁自伝』など、当時としては自由かつ先進的な内容が記されている。