挑戦する Oitan

元Google社長に聞いてみた!「これからの時代の生き方!」

大分の若者へ「これからの時代の生き方」

ポストコロナと言われる現在、社会の有り様が大きく移り変わろうとしています。その影響は東京だけでなく、私たちの愛すべき故郷・大分県も例外ではありません。
大分県での暮らしを選ぶか、それとも東京などの憧れの地へ行くのか、将来への不安を抱えている方も少なくないでしょう。

今回は佐伯市出身であり、アメリカのGoogle 副社長兼Google日本法人の代表取締役を務めた村上憲郎(むらかみ・のりお)氏にインタビューを敢行。「大分県に将来はあるのか」、「今後の暮らしがどう変わるのか」など、気になるテーマを伺いました!

村上憲郎は“血が騒ぐ人間”だった

人間って、生まれつき血が騒ぐ人と、そうでない人がいると思うんですよ。

私の人生を振り返ると、「普通、こっちは選ばんだろ」って言われるような道を選んできました。その理由は「そっちの方が、面白そうだったから」。私はそんな生き方を貫いてきました。

小学生の頃は、勉強していたのか遊んでいたのか、毎日、自然物採集していました(笑)。
昔の佐伯市には溜め池や農業用水路があったんですが、夏になるとフナやウナギを釣って遊んだり、夏ミカンとか木になっているものは何でも採って食べていたのを覚えています。
釣ったウナギ親父に蒲焼にしてもらって、よく食べてましたね。

その後、京都大学へ進学することになりますが、きっかけは佐伯鶴谷中学校の修学旅行で京都を訪れたことです。
3泊4日だったと思いますが、いろんなものを見てきました。といっても、夜は寝たフリをして、見回りの先生がいなくなったら枕投げをしていたので、バスの中では熟睡していたんですが(笑)。

そんな中で「京都大学に行くぞ!」と決めたのは、東山通りか今出川通りを通過した時だったと思います。
「うわぁ、すげぇなこのキャンパスは!いけどもいけども京大か!?」と衝撃を受けて、「大学に行くならここだろ!」と決めました。

京都大学を目指していた高校生の頃は、6000語くらいの英単語集などで受験勉強していましたが、実際に覚えられたのは3000語くらいだったかな。
京大に入ってから分かったんですが、大阪とか都会の人は、出る単語しか覚えないと言った効率的な勉強をしていたり、本は一度読めば全部覚えられるという信じられないような秀才がいたり、衝撃を受けましたね。

「井の中の蛙、大海を知らず。佐伯鶴城高校の田舎の秀才、自分だけ秀才だと思い込んでいた」ってね(笑)。

そうは言っても、ウナギを釣って食べたり、木になっている果物を勝手に食べて怒られたりと、大分で幼少期を過ごしたことが今の私に通じていると思います。

若者よ、人生で一度は県外へ飛び出してみろ!

それぞれの人生でいろんな段階があるとは思いますが、一度は大分県から出てみるのも良いと思います。できれば海外を少し経験してみるとか。
ただ、意欲とか目的とかそんな高尚なことを言う必要はないです。
とりあえず県外や海外に行って「すげぇな!こんな暮らしをしてるんや」みたいな物見遊山でいいんですよ。

目的がなくてもいいんですが、「やりたいことがある」っていうのは素晴らしいことだと思います。今はネットの時代なので、本当に興味を持っていることがあれば、一生懸命ググってみてください。
それを手掛かりに「こういう道は、こういうやり方があるのか」って追及されると良いと思います。

人生で「これをすべき」っていうのはなく、自分の道は自分で切り開ける時代が来たんだと若い人たちに知ってもらいたいですね。

仕事もプライベートも東京より大分がおすすめ

都会で食べるよりも新鮮で美味しい魚がいつでも安く食べられるのもそうですし、経済面で言うと、都会と比べて家賃が安いのも魅力ですよね。

親戚や同級生の中には、学校の教員や県の職員とか、大分で働いている人もたくさんいます。
佐伯にいる友達から「のりちゃん!土日は蒲江に釣りに行ってクロダイ釣ってきたで!」とか言われると、佐伯市での生活の方が羨ましくなりますね。

海や山の幸に恵まれているので、衣食住だけでなく生活を楽しむ点でも大分県にいた方が絶対的に有利だと思います。

ポストコロナの時代は大分県が圧倒的に有利!?

最近はポストコロナやニューノーマルと言われていますが、「働く」ということに関しての最大の変化は、リモートワークですよね。
例えば、東京の会社に勤めているからといって、東京にいる必要はなくなります。現在、東京の会社で何が起こっているかというと、オフィスの縮小なんですよ。
そのうち、「え!?昔はオフィスっていうのがあって、満員電車に乗って出勤してたの?」という働く場所を選ばない未来がくると思います。

大分県がこれからより良くなるための問題提起を

国外からの「よそ者」に対する県民の拒否感があるんじゃないでしょうか。

例えば、別府のAPU(立命館アジア太平洋大学)には、多くの県外の人や外国人が在学しています。彼らは全国の企業から求められるほど優秀な人材ですが、県内にいる人たちはそれに気付いておらず、多くの優秀な人材を大分にとどめておけませんでした。

今は解消されつつあると思うのですが、「国外からの人たちをいかにコミュニティの中に迎え入れていくか」っていう点で、大分県民は二の足を踏んでいたんじゃないでしょうか。

せっかくご縁ができたわけですから、大分県で学ばれたり様々なきっかけで仕事をされたりしている方を積極的に受け入れ、多様性のある寛容な社会を作り上げることが重要だと思います。

「我らいつも新鮮な旅人 遠くまでいくんだ」

自分にも言い聞かせている言葉なんですが、最後に大分県の方達にこの言葉を送ろうと思います。

「我らいつも新鮮な旅人 遠くまでいくんだ」

73歳になりますが、Googleを退任した今でも人工知能分野の研究を若い人たちと進めていて、日々わくわくしながら仕事をしています。
「我らいつも新鮮な旅人」というのは、齢73のじいさんになっても、常に新鮮な旅人であること。若い方には「あのじいさんに負けちゃいられねぇな!」って思ってもらえると嬉しいですね。

また、「遠くまでいくんだ」ていうのは、人工知能分野でいうと、まだまだ人間の知能の代わりにならないのが現状です。やるべきことが山ほどある中で、最後は「人間の頭脳に変わるような人工知能を作りたい」っていう夢が、遠くまでいくんだって言う意味合いですね。

たとえ歳をとっても、若い時にヘコたれる時があっても、いつも新鮮な気持ちで旅を続け、最後に目標とするところに到達する。
そんな気持ちを若い方たちにも持ってもらいたいですね。

編集後記

自分の道をとことん追求される強い意志が感じられる言葉ですね。
大学から大分県を出て、県外や国外で働かれた経験があっても、今なお地元を愛し、大分を盛り上げようと精力的に取り組まれている姿は、私たちにとっても励みになります。
現在73歳という年齢ではありますが、老いよりも若々しさを十分に感じさせるのも、この言葉があるからこそなのだと感じました。
村上さん、本日はお忙しいなか取材に協力いただき、ありがとうございました。

村上憲郎さんの経歴

日立電子株式会社のミニコンピュータシステムのエンジニアとしてキャリアをスタートした後、Digital Equipment Corporation(DEC)Japanのマーケティング担当取締役などを歴任。マサチューセッツのDEC本社人工知能技術センターにも5年勤務。
1997年から1999年の間は、Northern Telecom Japan の社長兼最高経営責任者を務め上げ、Northern Telecomに買収された Bay Networks の子会社である Bay Networks Japanとの合併を成功に導いた。後にNortel Networks Japanと改名された同社において、2001年中旬まで社長兼最高経営責任者を務めた。
2001年に Docent の日本法人である Docent Japan を設立し、同社の社長としてe-ラーニング業界でリーダーシップを発揮。
2003年4月、Google 米国本社 副社長兼 Google Japan 代表取締役社長として Google に入社
2009年1月名誉会長に就任、2011年1月1日付けで退任

京都大学で工学士号を取得
ハイパーネットワーク社会研究所理事長
大阪市立大学大学院教授
国際大学GLOCOM客員教授
大阪工業大学客員教授
会津大学参与

【ミニコラム】
村上憲郎さんが愛する大分の風景

村上さんが生まれ育った佐伯市は観光スポットとしても魅力あふれる土地です。今回の取材で村上さんが帰省した時に訪ねるスポットをご紹介します。
ぜひ、佐伯市に行くことがあれば立ち寄ってみてください。

歴史と文学の道

村上憲郎さんが愛する大分の風景

村上さんが地元・佐伯に戻られた際に散歩する「歴史と文学の道」は、昭和61年に「日本の道100選」に選ばれました。
追手門跡から養賢寺まで約700mの道のりには、石畳の道や白い土塀が続いており、城下町の風情を心ゆくまで満喫できます。特に春祭りが開催される4月になると満開の桜が咲き誇り、透き通るような青空と白壁の美しさが目を楽しませてくれるでしょう。