日本三大疎水の父・南一郎平がストイックすぎて震えた!
建設事業者・実業家南一郎平


「何事も気合でなんとかなる!」「休むことなく頑張り続けることが美学」。そんな根性論だけで乗り切ろうとするのはもう時代遅れ。下手すればコンプラ違反で大炎上!なんてことも…。

しかし、大分には、「ご先祖様に感謝しながら良い行いをせよ」「一生学びの姿勢を持ち続けよ」「休みなく努力して自分を強くする!」を常に意識して、夢を掴み取った偉人がいました。
他の水源から水を引くための水路「疎水(そすい)事業」で宇佐、そして日本の農業を豊かにした、南一郎平です!

今でこそ「宇佐=美味しいお米」のイメージが強いですが、駅館川東側の台地は水がなくひどくやせていて、稲作もできずに住人たちは苦しい生活を強いられていました。そこで立ち上がったのが宇佐のヒーロー、南一郎平!!!疎水事業に取り組み、暮らしはとても豊かになりました。現在、宇佐の美味しいお米が食べられるのは、南一郎平のおかげなのです。
そんな疎水の父であり、“ストイックおいさん”だった、南一郎平の歩みを振り返りながら、参考にすれば人生が変わる(かもしれない)彼の生き様を深掘りしていきます。
ストイックすぎて震える一郎平エピソード

疎水業の父・一郎平が常に大切にしていたのは、ご先祖様に感謝し、次の世代またその次の世代へとバトンをつなぐために陰徳を積んでいきたいと思う「堪忍陰徳」、今日一日だけ努力しようと思うことで、一生学び続けることができると考える「一日学」、休みなく努力し、自己を強化する「自彊不息」という3つのマインド。
ストイックかつスパルタ、暑苦しすぎて、思わず敬遠してしまいそうですが、一郎平のストイックすぎるエピソードをいくつかピックアップしてみましょう!
■ 父の意志を継いで…

もともと宇佐市の金屋村の庄屋だった父・宗保らによって進められていた広瀬井手事業。宗保は常日頃から一郎平に井手事業の重要性を説いていました。しかし、宗保は志半ばで亡くなり、その遺志は一郎平へ。村人と協力しながら工事に着手することになりました。皆が自分の利益は考えずに、村の暮らしを豊かにすることだけを考え、工事を続けたそうです。自分の夢だったならまだしも、父の想いを叶えるために…って普通の人じゃなかなかできません。さすがは、ストイックぱいせん。尊敬します!
■ 難所だらけの広瀬井手

しかし、広瀬井手の工事は難所だらけ…。一郎平が着工する前にも3回工事が行われましたが、土質がひどく、頻繁に崩落するなど、工事は中断を余儀なくされていました。一郎平が工事を始めてからも、軟らかい土質、硬い岩盤によってなかなか工事は進みません。一番の難所と言われていた百重岩は、薪や油の熱で岩盤にヒビを入れ、少しずつノミで削っていくスタイル。約900mのトンネルを8年かけてようやく完成させました。脱帽ですぜ、アニキ…。

■ 総事業費は●億円超え!?
広瀬井手の総工事費は3万6,000両と言われています。現代のお金に換算すると…、なななんと9億円以上!!! 事業費の多くを日田の豪商だった広瀬久兵衛から借用してなんとか工事を続行。しかし、難工事だったため、お金はすぐそこを尽き…、さらに1万両借金することに。同時に、莫大な公金も数千両借りて、それも返済できなかったため、二回も牢屋に入ることになったとか…。2回も牢屋に入るなんて、普通の人ならココロ折れちゃう。泣


■ 嫁と子を残し、単身上京
明治3(1870)年、広瀬井手はようやく通水しましたが、工事が長期間に及んだため、さらに補修工事が必要な箇所も多かったそうです。一郎平は自身が持つ土地や家、日用品などを売り払って工事を遂行。その広瀬井手での功績を認められ、内務省に技師として任命され、妻子を残して上京しました。貧しい暮らしを強いられた妻と子どもたちでしたが、近所の人たちのサポートもあり、大分の地から一郎平を応援し続けるのでした。ドラマに出てきそうな“THE・主人公を献身的に支える嫁”です。くぅ〜泣けるね!

※賀来惟熊(かくこれたけ)については「幕末の賀来一族 飛霞と惟熊」(宇佐市民図書館発刊)等で詳しく知ることができる
内閣総理大臣に「国家の至宝」と言わしめたプロの仕事
日本三大疎水
明治8(1875)年、一郎平は大蔵大臣、内閣総理大臣を務めた松方正義に招かれて内務省の土木部門で働くこととなりました。ここから、日本三大疎水(疏水)の安積疏水、那須疏水、琵琶湖疏水の工事に関わることになるのです。そして事業を見事にコンプリートさせ、疎水の父と言われるようになった一郎平。すごすぎです!
日本三大疎水ってそもそも何なん?
ここで、「疎水って何なん?」と思っている人も多いはず。まずはここで疎水についてご紹介。疎水とは、農業、飲料、発電などの用途で、利水のために築いた水路のこと。そのなかでも日本でベスト3に選ばれたのが、福島県の安積(あさか)疏水、栃木県の那須疏水、琵琶湖疏水の3つ。日本三大疎水と呼ばれ、明治初年の殖産興業を背景にした国家プロジェクトでした。
●琵琶湖疏水
次に、一郎平は京都府の依頼により現地に赴いて、琵琶湖疏水のための「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」をまとめて提出。これをもとに工事が始まります。台車に船を載せて上下させる設備インクラインを建設。蹴上発電所の電力を利用して、蹴上インクラインを稼働させるなど、琵琶湖疏水を成功に導きました。

●那須疏水
那須疏水は、保水性が悪く、灌漑用水どころか飲料水にすらできなかった那須野ヶ原に開削されました。一郎平は総監督として指揮にあたり、約16キロにおよぶ本幹水路を5ヶ月で完成させました。那須疏水は、発電をはじめ、蒸気機関車の給水源になるなど、栃木県の発展に計り知れない恩恵をもたらしました。

広瀬井手の工事でさまざまな技術を身に着けた一郎平。大分の地を離れても、持ち前のストイックさと、高い技術で三大疎水事業を成功に導きます。松方正義は、南一郎平を「隠れた実業界の偉人」 「国家の至宝」と称賛しました。

今の日本は、南一郎平なしでは語れない。
疎水は、発電や蒸気機関車の給水源、舟運など、さまざまなことに活用され、近代日本に大きな影響を与えました。疎水がなければ、今みたいに便利な暮らしは成り立たなかったかも…。南一郎平が豊かな日本の暮らしをつくったと言っても過言ではないのではないでしょうか。
一郎平のモットーで人生変わるかも!?

自分の利益を顧みず、水利事業に取り組み、住民の豊かな暮らしを叶えた南一郎平。彼の歩みを振り返ると、彼のベースとなっていたのは「堪忍陰徳」「一日学」「自彊不息」の3つの精神です。今の日本があるのも、ストイックな精神をはじめ、日本のより良い未来への希望、地域住民への想いがあったからこそ。わたしたちも一郎平のように、不屈の精神でいろんなことにチャレンジしてみると、歴史に名を残す偉人になれるのでは…。
彼みたいに身を粉にして頑張ろうと思ったものの……、やっぱりストイックすぎるのはキツい(ぴえん)!!何事もほどほどに頑張るぐらいじゃないと無理かもしれません。
ミニコラム1
広瀬井路(井手)、県内初「世界かんがい施設遺産」に登録!

2021年11月26日、南一郎平が手がけた「広瀬井路(井手)」が、県内で初めて「世界かんがい施設遺産」に認定されました。昨年末までに世界で107カ所、国内では42カ所が登録され、農業の画期的な発展や食料増産への貢献、卓越した技術をもって作られたものであることなどの基準を満たす必要があります。148年の時を経て、南一郎平たちの先駆的で多彩な土木技術が評価され、広瀬井手が歴史的に価値のある農業用水利施設だと認められました。
ミニコラム2
朝ドラにしたら絶対バズるって!!
「南一郎平を朝ドラにする会」発足
現代、疎水業の父とも言われた一郎平の功績を後世に引き継ごうと立ち上がったのが、一郎平の地元・金屋地区の方々。みなさんによる地道な一郎平の顕彰活動は、宇佐市から大分県全体にまで広がり、一郎平の没後100年となる令和2年には、広瀬井路通水百五十年記念式典が盛大に開催されました。式典を機に、「一郎平のことを世間の人たちに知ってほしい」という思いがますます高まった地元の方々はなんと、「一郎平を朝ドラにする会」を結成!月に1回、金屋集会所で作戦会議を行っているそうです。また、2021年8月には、金屋の甘酒「一郎平」を商品化。2022年度はなんと金屋の米で清酒造りにも挑戦するとのこと。朝ドラ誘致にますます期待が高まります。

ミニコラム3
南一郎平のことをもっと知りたいなら…
「宇佐学マンガシリーズ⑤ 日本三大疏水の父 南一郎平」をチェケラ!
広瀬井手から日本三大疎水を手がけた南一郎平の生涯と生き方を追うマンガです。彼の功績や歩み、考え方などがわかりやすくまとめられています。南一郎平について詳しく知りたいなら、まずはコチラのマンガからチェックしてみましょう。宇佐市民図書館で閲覧・購入ができます。

ミニコラム4
南一郎平 市民劇になる
「世界かんがい施設遺産」の認定を受けて、南一郎平を題材にした市民劇が2022年11月20日(日)に宇佐文化会館にて上映されます。演題は「命の水 絆の水(仮称)」。タイムスリップした男児の視点で、当時の人々の暮らしや水の大切さ、広瀬井手開拓について描かれる模様です。お楽しみに!