表現を楽しむOitan

お風呂が沸きました
※「温泉はいつも沸いてます」

2022.08/10

2022年春ドラマで高視聴率を獲得した『マイファミリー』(TBS系)。緊張感あふれる展開に釘付けになった視聴者も多かったといいますが、ドラマ出演者とは別に裏方として注目を集めたのが、スマホを通じて誘拐犯から送られてくる機械音声。実際にパソコンで作っているのかと思いきや、その“真犯人”は大分県臼杵市出身の一龍斎貞弥さん。あらゆる声を演じることが可能な一龍斎さんに、そのヒミツを聞いてきました。

  

人気ドラマの機械音でバズりました

───TVドラマ『マイファミリー』で、誘拐犯の機械音声を演じた一龍斎さんが大分県出身と聞いて驚きました。

「トモカサン・ヲ・ユウカイ・シマシタ」「5オクエン・ヨウイ・シテ・クダサイ」……ですね。

───うわっ、それです、それです! てっきりパソコンで作った合成音かと思ってました! あの不気味な着信音の後に出てくる音声に、日本中の視聴者がビビったと思いますよ。

怖がらせちゃいましたかね(笑)。演出スタッフの皆さんと打ち合わせを重ねながら収録していったのですが、特に音声加工もせず、ほとんど私の生声です。変えたとしたら、俳優さんの演技の尺に合わせて少しだけピッチ(速さ)を変えたところくらいですか。残念ながら別収録だったので、二宮和也さんをはじめ有名俳優さんと顔を合わせることはなかったです(笑)。

 

───あの無機質な機械音は、視聴者の恐怖心を増幅させました。

いかにも機械音のように聞かせるため、「トモカ・サンヲ…」といった具合に微妙な間を入れました。今の技術だと滑らかな機械音にもできるのですがね。以前は、たとえば「殺します」の「す」は無声化しやすくなるので、声のトーンや高さをあわせて有声化するように心がけていました。でも技術が進化した今は、そこまでしなくても自然な機械音声を作れます。でも「マイファミリー」の声は、いかにも機械音っぽく聴かせるため、あえて当時のとおり有声音を強めに発音するよう意識して収録しました。そうかと思えば、逆に怖がらせる演出として「うるせーよ」といった感情的なセリフも、多少感情を入れるパターンも録ったんですが、ここはあえて無機質に言うことで逆に怖さを感じてもらおう、というような演出とのやり取りもありましたね(笑)。

キャッチは「お風呂が沸きましたの声の人です」

───細かい演出の成果ですね。一龍斎さんの役割は重要だったと思います。

もともと誘拐犯の音声を決める会議では、iPhoneの「Siri」のようにするとか、AIで合成音をつくるとかの案もあったようなのですが、「カーナビの音声はどうだろう」という話になり、私の所属事務所にお声がかかったのです。

───え、カーナビもされているのですか?

日産の純正カーナビは私の声です。「まもなく、目的地周辺です」とかですね。あとパロマ給湯器の「お風呂が沸きました」、留守番電話の「ただいま留守にしています」、ANAの(電話応答全般の)音声自動案内などもさせていただいています。

───「お風呂が沸きました」、我が家で毎日聞いています(笑)。暮らしに身近な声ばかりですね。

「あぁ、あの声の人ですか!」と、よく驚かれます。Twitterのキャッチも「お風呂が沸きましたの声の人です」にしています(笑)。

 

留守電は機械音も編集も「メイド・イン・大分」だった

───機械音の収録は大変なのでは。

日産の純正カーナビの場合、北海道から沖縄まですべての地図表記や交差点名など数万ワードを、ひとつひとつ読んでいます。週4日かけて毎日4〜5時間、すべての収録を終えるまで7ヶ月もかかりました。まるで自分が機械になったような気分でしたね(苦笑)。30年前に私が音声合成の仕事を始めた当時の半導体はメモリー容量に限界があったので、重複した言葉を何度も使いまわす必要がありました。その場合、言葉と言葉をつなぐ時に違和感が生じないよう心がけました。ちなみにアナログ音声をデジタル変換すると聞き取りづらくなるので、”デジタル変換しても劣化しにくい声質の声優”を探すのに数百人ものオーディションを繰り返した結果、私の声が抜擢されたと聞いています。収録では、鼻濁音だと判別しにくいので濁音にするとか、先ほどもお話した無声音を有声音にするとか、細心の注意を払っていました。

───神経を集中させながら、大変な作業だったでしょうね。

あと留守番電話の内蔵音声に関しては、技術の進化に伴い、今現在私の声が採用されているかどうかはわかりません。ただ、当時は東京のスタジオで収録したのですが、デジタル編集に限っては国内最高峰の機器が揃っていた大分県のテキサス・インスツルメンツ日出工場で作業を行っていたんですよ。私も日出町まで足を運んだことがあるのですが、まさかこんな形で大分に里帰りするとは思ってもみませんでした。大分県人の声を大分県で編集して完成した音声は、ソニー、サンヨー、ユピテルといった大手メーカーで使われ、当時のシェア50%を獲得したらしいです。

キラーコンテンツは“鈴のような声”

───このような「声のお仕事」に初めて興味を持ったのはいつからですか。

小学5年生の時に放送クラブへ入ったのが、最初でしょうね。校内放送で私の声を聞いた同級生のお母さんが、「あやちゃん(本名 原 亜弥)、いい声しちょるね」と褒めてくれたんです。この時、初めて自分の声を意識しました。人間の声って違いがあるんだ、って。声のトレーニングを始めたのは、大分上野丘高校の合唱部に入部してからですね。部員が80名近くいる人気の部で、入学した年に全国NHK合唱コンクールで沖縄へ行った思い出があります。現在TOS・テレビ大分でアナウンサーをしている小笠原正典さんも、同じ合唱部だったんですよ。その後、文化祭で合唱曲を披露するようになったのですが、この時に合唱部の部長から「原さん、その鈴のような声で司会をしてくれないだろうか」と言われたんです。“鈴のような”と言われたことが嬉しくて、つい浮かれてしまったのを覚えています。

───合唱部の部長さんも、高校生にしては洒落た“殺し文句”を使いましたね。

そうですね(笑)。あと、この年は文化祭のクラスの出し物で、オリジナル脚本のお芝居をやったんです。私はラジオ番組のアシスタント役として台詞を喋っていたら、それを聞いていた先生からすごく褒められ、さらに自信がつきました。そこから日本女子大学に進学し、放送研究会に入って基礎的トレーニングを学びました。かといって女子アナを目指していたわけでもなく、卒業後は外資系ホテルへ就職。VIP客担当のコンシェルジュを経験しました。

───世界水準のサービスを学んだことも、今のお仕事に役立っているのでしょうね。

しかしこの時、「他人が自分を評価する基準は何処にあるのだろう」と思うようになったのです。そこで子どもの頃から気になっていた、声の仕事に挑戦してみようとなったのです。いろいろ調べた末、今も所属している声優プロダクションの養成所で修行を積んで、ナレーションやイベント司会、アニメやゲームの声優、さらに業界では珍しい機械音に至るまで、ありとあらゆる声のお仕事をいただけるようになりました。

表現の幅をワイドにした講談師としての横顔

───講談師としての肩書きもあるのは、どういう経緯ですか。

それこそカーナビの収録を終えたあと、何か違った表現がしたいと悶々と思いはじめました。そこで長い年月をかけて腕を磨く伝統芸能の世界に興味を持ち、結果的に講談師の一龍斎貞花師匠の下に入門したのです。「一龍斎貞弥」という号はこの時にいただいたもので、最初は声優の仕事と別々に名乗っていたのですが、前座の修行を終えた後に二つの幹を一本化して、新たな世界観を出せる表現者になるべく枝葉を広げているところです。その甲斐あってか、講談師としては今年10月に真打に昇進させていただくことが決まっています。

───現存する講談師人口は約120人程度の厳しい世界だと聞いたことがあります。

講談の歴史は約400年を越え、江戸時代に徳川家康の御前で「太平記」や「源平盛衰記」など戦いの物語を読んだのが最初だと言われていますが、もっとルーツを遡ると奈良時代という説もあり、日本が誇る貴重なエンタティメントのひとつです。もともとは講釈師と呼ばれており、講談師と呼ばれるようになったのは明治になってから。釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座って張り扇(はりおうぎ)を叩いてリズムをつけながら独特のスタイルで軍記物を読み上げ、かつては鎧兜を付けて町の辻々に立つこともあったそうです。いくつか流派があって、張り扇の叩き方が微妙に違うところが面白いですよ。女性講談師の歴史は江戸時代後期と意外と古く、最近は女性講談師の進出が著しくなっています。

───新作もあるのですか。

たくさんありますよ。私も野津町川登地区に伝わる「二孝女物語(にこうじょものがたり)」を題材にした講談を創作しています。江戸時代に旅先の常陸国(現在の茨城県)で病に倒れた父親を尋ねて、二人の娘が300里(約1,200キロ)の旅をした末に再会し、親子で帰郷するという実話です。実際に父親が療養していた青蓮寺は茨城県常陸太田市に現存し、これが縁で臼杵市と姉妹都市提携を結んでいるんです。私自身も2つの都市の観光大使に任命されました。

吉四六さんの血を脈々と受け継いでいる!?

───一龍斎さんは臼杵市の観光大使としてもご活躍のようですね。

吉四六さんと臼杵石仏のゆるキャラ「ほっとさん」のキャラクター名刺を持って、全国各地の口演先でお渡ししています。もともと私の実家は臼杵市野津町にある普現寺というお寺で、吉四六さんのモデル・初代廣田吉衛門の菩提寺として、吉四六さんと奥さんの「おへま」さんのお墓があります。子どもの頃から朝晩、御仏飯とお茶を本堂の内陣に備える係で、おふたりのお位牌に毎日お供えをしていました。お経もその頃から読んでいたのですが、よくよく考えてみると声のお仕事に繋がっていますね。

───なんと、あの吉四六さんの菩提寺でしたか! 機知に富んだトークは、とんち話で知られる吉四六さんの影響かもしれませんね。大分へはよく帰省するのですか。

毎年、臼杵市で口演会を開催しています。二孝女のお話を臼杵市の文化遺産として次代に伝えていきたいと、臼杵市内の小学校や中学校にも出かけることも多く、コロナ禍にはテレビ会議システム「Zoom」を使ってリモート口演会を開きました。最初は地元の「野津町きっちょむ史談会」という郷土史を研究するグループの方々が中心になって開催していただいたのが始まりで、大変感謝しています。二孝女が生きていた時代から200年後に、臼杵市と常陸太田市の交流が盛んになるお手伝いをさせていただいた気分です。

大分人は「発酵」と「醸成」の文化でしょ

───ロマンあふれるお話ですね。ほかにも故郷・臼杵市について思うところはありますか。

やはり食文化ですね。とりわけ臼杵市は2021年11月に、日本で二番目のユネスコ食文化創造都市として登録されたばかり。伝統的な醸造・発酵文化があり、誇れる郷土料理がたくさんあります。上京してからも自宅で大分の郷土料理を作ることも多く、だんご汁、やせうまはよく作ってます。特に冬になるとだんご汁が恋しくなり、自分で麺をこねていますよ。有機農業に早くから取り組んでいる方も多く、臼杵市役所の方に「なずな」さん(臼杵市)を教えていただき、美味しいお昼をいただいたことがあります。月に一度は無農薬野菜と玄米を送ってもらってるんですよ。

───東京で大分の料理を楽しんでいると聞いて、嬉しくなってきました。

大分に育ってよかったことは、やはり豊かな自然だなと感じます。山の上のお寺で育ち、土の匂いを嗅いだり、草むらに寝転がったりと、恵まれた大自然の中で伸び伸びとした子ども時代を過ごせました。両親も自由にさせてくれ、本堂の欄間をバレーボールのネットがわりにビーチボールを投げ合ったり、鐘つき堂から飛び降りたりと、結構ヤンチャな子どもでしたね(笑)。でも、これらが今のお仕事に必要な「五感」を研ぎ澄まし、さらには「心」の成長にも影響を与えたと感じており、すべてが血となり、肉になっているのではないかと実感しています。

───大分の人たちに伝えたいことはありますか。

温泉・自然・歴史・食など、大分県内それぞれの地域で得られる特長を見直し、あらためて横の繋がりを活かした交流をしていけば、大分県の魅力はもっと広がりが持てると信じています。まさに発酵と醸成の文化を持った土地柄にふさわしい取り組みができるのではないでしょうか。

一龍斎貞弥のオオイタ成分

 

一龍斎 貞弥(いちりゅうさい・ていや)。本名・原亜弥。大分県臼杵市野津町出身。大分上野丘高校から日本女子大へ進学。外資系ホテルのコンシェルジュなどを経て、青二塾東京校10期生で学び、卒業後の1990年より青二プロダクションに所属。ナレーターや声優として活躍。2007年に講談師を目指し、一龍斎貞花に入門。「貞弥」の号を授かり、翌年「前座」となる。2011年に二ツ目昇進、2022年10月には真打ち昇進へ。現在、青二塾のナレーション講師も務める。
【青二プロダクション公式プロフィール】
https://www.aoni.co.jp/search/ichiryusai-teiya.html
【一龍斎貞弥公式twitter】
https://twitter.com/1ryusaiTeiya

 

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