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100年後、街に映画館は残っているのか?

シネマ5 支配人田井 肇

別府ブルーバード劇場 館長岡村 照

日田シネマテーク・リベルテ 代表原 茂樹

2021.03/01

大分県には、小さいけれども街に愛され続けている3つの映画館があります。
70年以上の歴史を持つ「別府ブルーバード劇場」、平成と共に生きてきた大分の「シネマ5」、全国から注目を浴びる「日田シネマテーク・リベルテ」。
多数のスクリーンを備えた複合映画館、いわゆるシネコン(シネマコンプレックス)とは違い、基本的にはスクリーンが1つだけのミニシアターです。
しかし、今ではスマホで映画が観られるサービスやコロナの影響もあり、小さな映画館が大きな岐路に立たされています。

今回は、その逆境に立ち向かう3館の館長/支配人にお話を伺いました。
なぜ人は、映画館で映画を観るのか?
なぜ苦境の中、映画館を続けるのか?
100年後、映画館は残っているのか?

1人で50年間。
ある日、東京の映画ライターと出会って。

【別府ブルーバード劇場】

ブルーバード劇場館内
▲数多くの著名人が来訪する別府ブルーバード劇場。

全国からファンが集う別府ブルーバード劇場。映画ファンのみならず、俳優の斎藤工さんや真木よう子さんなど、芸能界にも多くのファンが。
しかし、なぜファンは魅了されるのか。
そこには、最愛の夫を亡くし、それ以降50年間ただ1人で映画館を営み続ける岡村照館長と、別府ブルーバード劇場に救われた1人の映画ライターの存在がありました。

森田真帆さんと岡村照さん
▲館長の岡村照さん(右)は御年89歳。映画ライターの森田真帆さん(左)とともに笑顔が絶えない。

--別府ブルーバード劇場について教えてください。

岡村館長

1949年に父が「子どもたちに夢を与えたい」という想いで開業し、今年で72年目に入った映画館です。
父の跡を継いでからは、40歳まで旦那と一緒に切り盛りしていました。
旦那は大学卒業後東京で仕事が決まっていたにも拘らず、「ニュートンの引力を感じます」というラブレターをくれて、別府で暮らすようになったのはいい思い出ですね。
最愛の旦那が40歳に突然亡くなってからの約50年間は、1人で映画館をやってきました。
そんな中、6年前から真帆ちゃんがうちの映画館を手伝い始めてくれたんです。

森田真帆さん
▲映画ライターの森田真帆さんはテレビへの出演だけでなく、芸能人の知人も多数。

--どんなきっかけだったんですか?

森田さん

照ちゃん(岡村館長)に出会ったのが6年前。
映画ライターの仕事や私生活に疲れているときに別府の一人旅に出発したんですが、ブルーバードを見つけたのは偶然のことでした。
仕事もプライベートもうまくいかなかった時期で映画自体を嫌いになりそうだった私が、ここで映画を観たら「やっぱり映画が好きだなぁ」と気づいたんです。
その後、館長に「お金は要らないから手伝いたい」と直談判したんですが、最初はめちゃめちゃ怪しまれました(笑)。
それからは仕事を辞め、別府と東京の2拠点生活。とにかく「照ちゃんをどうやって世間に認知してもらうか」だけを考え、監督さんや俳優さんに声をかけたり、劇場でトークショーなどのイベントを開催するうちにファンが増えていきました。

--まるでアイドルとプロデューサーですね(笑)。

森田さん

みんな、照ちゃんに会えるのを楽しみに来てくれるんです。
イベントのゲストに阿部サダヲさんや真木よう子さんをお呼びしたこともあります。皆さん二つ返事で来てくださるのは、完全に照ちゃんパワーですね。

岡村館長

真帆ちゃんが来てからというもの、雑誌やTVが頻繁に来るようになって、若い人も訪ねてくれるようになりました。元々は地元のシニア層しか来ない小さな映画館で、流す映画もシニア向けでしたからね。

人口7万人の町にある、全国から注目を浴びる映画館。

【日田リベルテ】

日田リベルテが掲載されている全国紙
▲日田リベルテが掲載される全国雑誌の数々。これはたった一部。

原茂樹さんが2009年に引き継いだ、100席に満たない小さな映画館「日田シネマテーク・リベルテ(通称、日田リベルテ)」。
「ミニシアターは100万人都市でないと成立しない」と言われる中、たった7万人規模の町で映画館を個人経営。そんな小さな映画館は、『暮らしの手帖』を始め『POPEYE』や『Premium10』などの雑誌で取り上げられ、県内外から注目されている。

原茂樹さん
▲日田リベルテ代表の原茂樹さん。リベルテ内にあるサロンで。

--早速ですが、小さな町でやっているにもかかわらず、なぜこうも全国から注目されているんですか?

原さん

よく日田での活動を見つけてくれますよねぇ(笑)とにかく場所としての魅力というか「信頼」を作っていうこうと思っていますので、こんなにも今をトキメく文化人たちが思い思いに集ってくれることはありがたいです。
先日も、手塚治虫さんの息子・手塚眞(まこと)さんが来たいと言ってトークに来てくれたり、10代から憧れだった編集者の岡本仁さんや音楽家の青葉市子さん、ミロコマチコさんなどなど、、、”東京でしかできない”と思うより、”ここで魅力を作っていく”という発想で営んでいます。結果的に、面白いもの・楽しいこと・良いものが集まれば、人やお金はついてくるものだと、今は言えます。

―映画館は神社や温泉のようなもの

田舎に行くときって、神社や温泉を目的にすることがよくあると思いますが、僕はこの映画館を、一旦立ち止まって自分を見直す神社や、ゆっくりと湯に浸かってスッキリする温泉のような場所だと思っています。

習字作品
▲人々の習字作品。見方を変えれば神社のよう。

--その結果、日田に移住している人が増えていると聞きます。

原さん

そうなんです。「移住者が増えたのは、リベルテの効果だ」と書かれた論文がありますが、そう書いてもらえるのは嬉しいですね。

30年間無借金経営。混沌の平成を走り抜けた映画館。

【シネマ5】

シネマ5の扉
▲シネマ5の入り口。扉の先に進むと映画の世界に誘われていく。

1989年1月7日は、昭和天皇が崩御された昭和最後の日。この日、現代表である田井肇さんは閉館する予定だったシネマ5を「それならば」と借りることに決め、以降30年以上も経営を続けてきた。

非常に難しいとされる映画館経営を続けられる秘訣は、何なのだろうか。

田井肇さん
▲シネマ5支配人の田井肇(たい・はじめ)さん。

--この30年間のシネマ5のことや、映画館を取り巻く変化について教えてください。

田井さん

私がこの映画館を受け継いだ1989年は、年号が平成に変わり、天安門事件やベルリンの壁の崩壊など、社会が大きく変動した年でした。
映画館の変遷で重要な出来事は、1993年に日本に登場したシネコン(複合映画館)によって映画興⾏のスタイルが変化したことです。
かつて1980年代まで⽇本では映画館を作るのは難作業。ある⼈が映画館を作ろうとしたら、様々な法律的規制で10年もかかったそうです。
法律が映画業界における既得権益者の防波堤になっていたわけですね。それを壊したのは⽇本国内の誰でもなく、外国でした。
昔の映画業界は⽣産と販売が一体になった垂直統合が中心で、福岡東宝、新宿東宝といった東宝の名のつく映画館では東宝の映画しか上映していませんでした。そうした慣習を打ち破って、どんな映画館でも自由に映画がかけられるようにするために、そうした縛りのない新しい映画館として誕生したのがシネコンでした。防波堤になっていた法律も緩められ、90年代から全国各地にどんどんシネコンができてきたのです。

シネマ・コンプレックス
▲1993年に日本に登場したシネマ・コンプレックス。

--シネコンって、そういう経緯でできたんですね。

田井さん

シネコンの誕⽣で、それまで⼤分市内だけで20以上あった映画館も1990年代以降、次々となくなってゆきました。今や大分市には3つものシネコンがあり(合計30スクリーン)、それ以外には、僕がやっている「シネマ5」と「シネマ5bis(2号館)」の2館のみになりました。「⼤衆に売れる映画」を上映するのがシネコン、それに対してシネマ5では、シネコンにかからないような「大衆には売れないけれど、キラッと光る映画」を上映しています。

--だいぶ挑戦的ですが、経営は大丈夫なんですか?

田井さん

僕がやり始めた30年前は、ミニシアターが成り⽴つのは最低でも人口が100万⼈以上の⼤都市でなければ無理だと言われていました。人口40万⼈の大分市でやっていくのは絶対に無理だと(僕も含めて)みんなが思っていたので、まさか現在まで続くとは想像もしませんでした。

--そんな中、30年間無借金経営と伺いましたが、何か秘訣があるんでしょうか?

田井さん

実はコロナ禍で去年借り入れをしたので無借金経営ではなくなりましたが、それまでは借金をしたことはありません。秘訣というようなものは、もしもあるなら逆に僕が知りたいですね(笑)。
僕は車も(運転免許すらも)持っていなくて、ケータイも持っていない。お酒もまったく飲まない。食べるのも1日1.5食くらいなので、はっきり言って生活のランニングコストがとても低い。秘訣じゃないけど、それは重要な要素かとは思います。

かつては23館。今は1館。

【別府ブルーバード劇場】

別府ブルーバード劇場
▲初めてであっても、どこか懐かしさが漂う別府ブルーバード劇場の入り口。

--別府の街と映画館は、どう変わってきましたか?

岡村館長

映画全盛期は別府に23の映画館があって、実は亀川にもあったんですよ。

--23館ですか!?しかも亀川にまで!

岡村館長

終戦後が一番多くて、別府の駅前通りから10号線までで5館ありました。東宝とか東映とか。うちは日活*1という配給会社の直営だったので、石原裕次郎の作品が観れました。
けれど、大分にシネコンができると若い人がみんなそっちへ行ってしまい、直営の映画館が全部潰れちゃったんです。
私も「映画館を辞めよう」と思うことがありましたが、なんとか踏みとどまり、別府に残っている映画館はうちの1館*2だけになりましたね。


*1 1912年に創立された日活は国内の映画を製作・配給を行なっており、日本で最も古い映画会社と言われている。
*2 現在別府には映画館が2館あるが、ミニシアター系の映画館としては1館のみ。

--それでも続けている理由はなぜなのでしょうか?

岡村館長

常連さんはシニアが多くて、若い人と違ってわざわざ大分市まで行けないから、「閉めないで」と言われましてね。私も元々映画が好きだし、そう言われる以上は「この人たちのためにも閉めないようにしよう」と思ったんです。
もちろん、常に黒字だったわけではないですし、昔は映画の上映に30万円くらい払っていたんです。だから銀行から高い利息でお金を借りて、なんとか続けていました。
立ち行かなくなったらどうしようと不安はありましたが、もしそうなったら友人と「クラブ・テル」にでもしようかという話をしていました(笑)。
今でも続けているのは、この観光都市別府に映画館がないのは寂しいと思いましてね。最後の映画館でもやろうと決めたからなんです。
私には、映画しかありませんから。

岡村照さん
▲常に元気で笑顔たっぷりな別府ブルーバード劇場・岡村照館長。

なぜ赤字でも映画館を続けるのか。それは--

【日田リベルテ】

日田リベルテの受付
▲日田リベルテの受付。よく見ると、ここでこそ出会える面白い本や作品たち。

--なぜ、映画館を赤字だったとしても続けるのでしょうか?

原さん

もちろん毎月押しつぶされそうな気分にはなりますよ(笑)その上で、なぜ続けるかと言うと、子どもたちの未来のためですかね。そして大分県の方たちが、故郷への誇りを感じられるような場所にしたいです。もし、大分を一度出ても、「故郷でもなにかできるよなぁ」とか「やっぱり帰りたいな」と思ってもらえるような場所。
また映画には、みなさんが持っている自分を信じる力を増幅させるチカラを感じます。
その為には、自分以外の人の想いが大切だと思わされる瞬間が必要です。
なので、映画や活動を通して「潜在意識」にアクセスしたいと思っています。

--潜在意識ですか。

原さん

脳科学では「行動の90%は無意識」と言われています。ということは、無意識がほとんどですよね。僕がやっていることは、腑に落ちると言うように「頭を使うより腹に聞く」みたいなこと。映画を観ている時は、”あぁ自分はこんな風に思っているんだなぁ”と、本当の自分に気付きやすくなりますよね。潜在的に持っているものにアクセスし始めているということです。
だから、”あ、ここ治そう”など、今後の糧になったりもしますよね。そこをもっと大きく捉えると、人生さえ変わったりするとも思うんです。僕も映画に救われたので、映画に恩返ししているわけで。なので、一人でもそんな”救われる”体験をもたらされるといいなと、思っています。

―人生に立ち止まる瞬間を。

そして、映画を観れば、愛や絆、希望、兆しって「なんだろう?」って考える気持ちが生まれやすくなります。要するに、合理的で効率的な日々の暮らしについて、立ち止まって考えてみることが大事だと思うんです。ぼくらはぜんぜん合理的な存在ではないはずだし、むしろ非効率的ですよね(笑)なので、そんなことのために生まれてきたわけではないはずだし、幸せになる為に生まれてきたと思えたら、幸せってなんだろうと考え始めるわけです。その時にもやっぱり映画はいい教科書であると思うのです。

ネットではなく、映画館でしか味わえないこと。

【シネマ5】

シネマ5の椅子
▲シネマ5こだわりのふかふかで心地良い椅子。フランスから仕入れたもの。

--最近は、ネットで映画が観れる時代になりました。それでもなぜ映画館で観る必要があると思いますか?

田井さん

映画は、ネットだろうと映画館だろうと「見られれば、それでよい」のでしょうか。例えば、「絶対に感動する映画があるんだ。ただし、この映画はあなたしか観ず、誰とも共有できない」と言われたら、その映画を観たいと思いますか?映画というものは、誰かと共有したいものではないでしょうか?映画館で見知らぬ誰かと共有する喜びは、映画館でしか味わえません。

--たしかに、面白い映画を観たら友達に勧めたくなります!

田井さん

ネットで「人とつながる」とよく言いますが、人がネットを通じて出会いたいと思っているのは、「他人」ではなく、究極「もう1人の自分」なのではないでしょうか。
仕事や家庭でストレスを感じる日々を送っていると、心が荒んでしまうこともある。そんな時、自分を取り戻すには、他人と物語を共有することが大事なのではないかと。共有といっても一緒に話すわけではなく、同じ場所に誰か他人がいる、人が見える、確かにそこにいる、そして映画の物語を一緒に味わっている。それが大事だと思うんです。だからこそ、映画館で映画を観る必要があると思っています。

映画館と光
▲知らない他人であっても、映画館では同じ物語を同時に共有する。

映画館は、「自分と出会う場所」

【日田リベルテ】

リベルテコーヒーカップ
▲日田リベルテにて。400年の歴史を持つ日田の小鹿田焼(右)、コーヒーは映画を観ながら飲むことができる。

--なぜ、人は映画を観ると思いますか?

原さん

逆に、なぜ人は映画を観なくなってきたのかを考えてみるといいと思うんです。それは、スマホの普及などもあると思いますが、「人に興味を持たなくなったから」だと感じます。
つまり映画は、誰かの人生。映画を観ると、様々な感情が不意に出てくる。そして「なぜ自分はこんな感情を持ったんだろう?」と自分自身に会うことができます。言い換えれば「自分と出会う」ことが映画の意味であり、映画館は「自分と出会う場所」。
一旦立ち止まって、その「誰かの人生」を観ることで何かに気づけば、人生の苦悩を打開することだってできたりする。そういった意味で映画館は、神社のような場所でもあると思うのです。なのでアーティストが集まってくる光景も、奉納品が集まってきているような感覚になっちゃいます(笑)

日陰を歩く人の救いになりたい。

その想いだけ【シネマ5】

シネマ5のシアター入り口
▲シネマ5のシアター入り口前。

--なぜ、映画館をやり続けるんでしょうか。

田井さん

「いろんな悩みを抱えている人がちょっとでも救われたら良いな」という想いがあります。日陰の人生を歩むような人たちの救いになれば良いと願っています。
人はいつ映画ファンになるかというと、例えば失恋した時、仕事で失敗してしまった時、落第してしまった時。そうした「だめだ、俺最低!」という時なんです。
ほかにも、何か人には言えない秘密を抱いて生きている人(僕もその一人です)が、映画を観て「自分と同じだ」「苦しいのは自分だけじゃない」と思えたら、救いになるかもしれませんよね。
もちろん商売として、映画館に来て欲しいという気持ちはありますが、どこかで「救われたな」って思ってくれる人がいれば嬉しいですね。

田井肇さん

戦中派のスーパーポジティブウーマン

【別府ブルーバード劇場】

音響ハウスネイル
▲映画「音響ハウス」を意識した岡村館長の遊び心。

--先ほど、50年間映画館をやってきた中で一度だけ辞めたいと仰っていましたが、このコロナ禍では思わなかったんですか?

岡村館長

私は戦中派ですから。病気くらいには負けません。

森田さん

照ちゃんはずっとポジティブなんです。コロナ禍になっても、「1ヶ月休めるじゃん。お茶でも飲もうか」みたいな(笑)。
お正月も休館したことがなくて、大晦日の夜は18時だけど、元旦の朝から開けるので、実質365日開けていますね。
熊本地震の時も開けようとしていたので、さすがに止めたくらいです(笑)。

岡村館長

どこにも行けなくなった人がいたらと思うと、「開けなければ」と思いましてね。

--どうやってそんなにポジティブになれるんですか?

岡村館長

今日の嫌なことは明日に持ち込まないと決めている。「死んでしまえ!」とか言って終わりです。

森田さん

誰に言うん!?(笑)
でも、戦争や最愛の旦那さんの死を経験してるから照ちゃんスピリッツはすごいんです。旦那さんが亡くなった後も、3日間だけ休んで映画館を再開したんです。スーパーポジティブウーマンなんです。
でも多分、照ちゃんの中ではルーティンを決めていて、パッと起きて、やるべきことをやっていく。電気つけて、窓開けて、掃除して、みたいな。

岡村館長

楽天家なんでしょうね。あと、私に向いた仕事はこれしかないですから。

岡村照さん
▲岡村館長と話していると、元気が出てくる。

100年後、映画館は残っているのか?

【シネマ5】

シネマ5映画館内
▲シネマ5映画館内。

--100年後、映画館は残っていると思いますか?

田井さん

映画館が残っているかはわかりませんが、映画を見たい欲望は人間の本能に非常に近いものなので、映画自体は残り続けていくと思います。
原始時代の話なんですが、焚き火を囲んでいる人たちがその時に何を見ているかと言うと、火ですね。火、つまり光を見ながら、誰かが「あのよぉ、婆さんに聞いた話なんだけど。家の爺さんが谷底に落っこちたことがあってよぉ」なんて話し始めるわけです。すると、その物語の中にすーっと引き込まれてゆく。
そうやって光を見て物語に身を浸したいというのは、太古からの人間が持っている本能と言ってもよい欲望なのだと思います。だから、100年後もなくなったりはしていないと思います。

原始人と火

--たしかに、キャンプファイヤーとかしたら、ずっと火を見ている気がします。

田井さん

私たちは自分の生まれた瞬間も知らなければ、死ぬ瞬間も未だ知らない。自分で選んだわけでもないものを「自分の人生」と呼んでいますが、出発点も到着点も知らないそんな曖昧なものを「人生」と呼ぶためには「物語」が欠かせません。
自分の記憶にあるものを繋ぎ合わせて「物語」を組み立てると、それが「自分の人生」になります。映画は、「この人はこんな風に生きているよ」「物語(人生)は色々あるよ」ということを伝えてくれるので、それを見て、自分の物語を組み立てなおしてみることだってあり得る。
映画をいろんな人たちと観て、物語をいろんな人と共有することが大切です。なぜなら、人生という物語は自分一人では完結できませんから。

田井肇さん(左)岡村照さん(中央)原茂樹さん(右)
田井肇さん(写真左)の経歴及び映画館について

「シネマ5」代表。1956年岐阜市生まれ。大分に移り住み、76年から始まった湯布院映画祭の立ち上げに加わる。以後13回目まで中心メンバーを務めた後、89年、閉館の瀬戸際にあった「シネマ5」の運営を引き継ぎ、地方都市では困難とされるアート系専門映画館として、その経営を軌道に乗せて現在に至る。本業のかたわら、別府大学の講師として教鞭をとり、朝日新聞(大分県版の木曜日・朝刊)では「シネマわーるど」を連載中という多彩な顔を併せ持つ。現大分県興行組合・理事長。

《シネマ5について》

住所/大分市府内町2丁目4-8

TEL/097-536-4512

WEBサイト/http://cinema5.gr.jp/

岡村照さん(写真真ん中)の経歴及び映画館について

「別府ブルーバード劇場」館長。お父様が「子供にいい映画を観せたい」との思いから昭和24年に創業。昭和46年、40歳の時に映画館を継承。斎藤工さんや真木よう子さん、阿部サダヲさんなど数多くの俳優や映画監督との交流を深め、数えきれない映画を上映してきた。2017年から毎年行われる「Beppuブルーバード映画祭」では、全国から多くの著名人やファンが別府に訪れる。

《別府ブルーバード劇場について》

住所/大分県別府市北浜1丁目2-12

TEL/097-721-1192

WEBサイト/http://www.beppu-bluebird.info/

原茂樹さん(写真右)の経歴及び映画館について

映画館「日田リベルテ」代表。リベルテはフランス語で自由の意。35mmフィルム映写技師。映画館で映画を観て何かを感じてもらいたいという想いが大きな活力源。ほかに、ヤブクグリ広報係、きじぐるま保存会会員、コラム連載(現在2誌)、大学講師やアートディレクションなど活動も様々。映画館が1日でも長く楽しく存続できることを願っている。温泉好き。

《日田リベルテについて》

住所/大分県日田市三本松2丁目6-25 日田アストロボール2F

TEL/097-324-7534

WEBサイト/http://liberte.main.jp/index.html

【ミニコラム①】シネマ5支配人・田井さんから若者へのメッセージ

シネマ5支配人の田井さんからいただいたメッセージは、尊敬する映画編集者・ウォルターマーチの「ミツバチの話」からきています。

ウォルターマーチ
▲映画編集者のウォルターマーチ

養蜂家がミツバチを放ったあと、巣箱を50cmずらしておくと、戻ってきたミツバチは巣箱が元あった場所の上をぐるぐると回って、巣箱には戻れない。さて、次に巣箱を500mずらすとおくとどうなるか。ミツバチは巣箱が元あった場所から遠く離れた巣箱をちゃんと探し当てて戻っていくというのです。
このミツバチの習性から、ウォルター・マーチが導き出した答は、「生物はわずかな変化には対応できないが、大きい変化には対応できる」というもの。人間も同じ。田井さんは「人間は(生物は)、小さな変化よりも大きな変化のほうが、実は受け入れることができる存在だ。だから、大きな変化を恐れず、新しい自分の物語を常に紡いでいってほしい」と仰っていました。

【ミニコラム②】別府ブルーバード劇場ならではの楽しみ方

岡村館長は「映画を観終わった後にコミュニケーションをするところです。」と仰っていました。すごく温かさを感じる答えですよね。お客さんに対して「どうだった?」と聞くのが好きなんだとか。そこで映画の感想を聞いたり、翌週の映画とかをお勧めしたりして、人と話すのが日課になっているそうです。営業上手ですね(笑)。

岡村照さん
▲鑑賞後の常連のお客さんとコミュニケーションをする岡村館長

さらにブルーバードの特徴は、「予告編がないことだ」と映画ライターの森田さんは続けます。初めて来た時に映画泥棒が踊り出すかと思いきや、いきなりブザーが鳴り始めて驚いたそう。
ポテトチップスが売っていたり、鑑賞中のお客さんが「なんでや!」と言い始めたり、「超自由」なところが別府ブルーバード劇場の楽しみ方の1つです。

【ミニコラム③】日田リベルテとアーティストたち

日田リベルテ代表の原さんは、元々は音楽のアーティスト。大分の小さな町の映画館なのに、全国で名を馳せるアーティスト達と「0から1を作る」場所として、訪れた面白そうなアーティストたちと一緒に活動しています。
原さんのモットーのひとつは、今生きているアーティストがそれだけで生活できるようにすること。「亡くなった後に認められたゴッホではなく、できるなら生きているうちに認められるアーティストになってもらいたいと思うのです」と語ってくれました。

自身が映画館の代表でありながらも、アーティスト、ギャラリー、サロン(カフェ)、キュレーション、バイヤーなどにも携わっています。皆さんも、訪れてみて、日田リベルテの奥深さを体感してみてください。原さんやスタッフさんにガンガン話しかけるのがコツです☆

アーティストの作品
▲全国で名を馳せるアーティストの作品がずらりと並ぶ
谷口智則さんイラスト
▲柱には絵本作家・谷口智則さんの直筆イラスト
原茂樹さん
▲原さんの後ろには画家・絵本作家のミロコマチコさんの作品。

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