挑戦するOitan

おんせん県で育った
「ジャパニーズロックの救世主」の野望

2023.03/30

CDが売れない時代と言われ、それに代わってサブスクやオンラインライブなどの新しいサービスが加速。時代の流れが速い音楽業界で、今なお全国各地で精力的にライブ活動を行なうロックバンド『ircle(アークル)』。中学時代に同級生4人で結成し、メンバー変更もせず22年もの間活動を続けている。その中心人物、ヴォーカル・ギターの河内健悟さんに、九州ツアーの合間を縫って実家のある別府市でお話しを伺いました。
2022年には別府ビーコンプラザでそうそうたるバンドを引き連れて開催した自主企画イベント「HUMANisM超☆地獄編」を盛況のうちに終わらせた「ジャパニーズロックの救世主」の次なる野望は? 幼少期からのエピソードを交え紐解いてみました!

  

音楽は常に身近にあった少年時代

───音楽や楽器に目覚めたのはいつからですか?

小学生の時からカラオケとかで歌うのが好きでしたから…。歌に目覚めたって言われたら、今かな?(笑)。実際、喉のケアや歌の研究、メロディーとコード進行を意識して曲を作ったり、オレたちにしかできないもを創り上げたいって真剣に思ってるから、やっぱ今ですね!(笑)

───楽器はいつぐらいから始めた?

ウチの親父が別府ジャズインに携わっていたこともあって、いろんな楽器が家の倉庫にあって、アコースティックギターなんかは常に弾ける状態だったんですよ。オレらが中学の時にギターブームみたいなのがあって、学校で一番ギターが上手くなりたいって一生懸命練習しましたね。

───その時に仲道くん(仲道良さん:ircleのギター・コーラス担当)とユニット組んでたんですよね? 『20(m.c)』ってユニット。

よくご存知で(笑)。ホント文化祭に出るとかじゃなくて遊びで組んだユニットだったんです。その後、文化祭に出るんだったらバンド組まないと!ってなってメンバーを集めました。

───それがSKIN-HEADz(スキンヘッズ)になるの?

中学3年の時の担任の先生の命名です。4人のメンバーの頭文字をとってSKIN-HEADzって名前になりました。それまでは文化祭に出るたびに名前を変えてました(笑)。それがカッコいいって思ってたんでしょうね。中学の時ってそんなもんじゃないですか?(笑)

───その時はコピーしてたんですよね?

BUMP OF CHIKENとかモンゴル800とかですね。

“ロックンロール!”って叫ぶやつ大嫌い!?

───その後、高校に入っても同じメンバーで活動したんですよね。

そうですね。特に何も考えずに、メンバー4人ずっと一緒って思ってましたから。4人でいることが自然だったし、とにかく楽しかったから。

───ライブハウスでの活動を始めたのは高校生になってから?

ライブハウスは中学生なんて出演させてくれなかったんで、早く高校生になってライブハウスでライブやりたいって思ってました。オレらの時代の、特に別府のバンドってロックバンドが多かったんですよ。血の気が多いロックバンドみたいな奴らばっかで(笑)。ライブハウスで対バンとかになって「ロックンロ〜ル!」とか叫んで曲が始まる奴らとか見てて、なんか違和感しかなかったんですよ。今なら喜んで叫びますよ、それなりにいろんな経験積んできましたから。でも高校の時に、大して転がってもないのに(経験してもないのに)「ロックンロ〜ル!」って叫ぶなよって思ってました(笑)。なんかダセェな〜って(笑)。高校生が何生意気言ってんだって思ってましたけど、今考えると冷めてる感じが逆に生意気ですよね、オレの方が(笑)。

伝説のコンテストで初出場初優勝の悪夢!?

───そして高校生ロック選手権大会2年連続グランプリになる。

(*高校生ロック選手権大会:大分市の楽器店が毎年主催して開催していたバンドコンテスト。楽器店の閉店に伴いコンテストも消滅。その後、NPOによって開催された高校生のバンドコンテストでircleとしてゲスト出演経験あり。)

そうそう! 1年、2年と出場してグランプリとって、3連覇を期待されたんですけど3年の時は出ませんでした。

───それには理由があったんですか?

単純に受験勉強に専念するためです。

───マジメか!?

そうですよね(笑)。でも結構メンバーみんなで真剣に考えて出した答えなんですけど。それぞれの家庭の事情もあったし、地元の大学に行くか、東京に行くかとか考えたんですけど、結局福岡に落ち着きました。なんか失敗してもすぐ大分に帰って来れそうだったし(笑)。

───そんな理由で?(笑)。話を高ロク(高校生ロック選手権大会)に戻しますけど、2年連続グランプリって最初で最後ですよね?

そうですね。過去にもなかったみたいですけど、オレらからしたらスンゲェ気まずい表彰式でしたよ、1年の時。だって、表彰式で入賞バンドや、各楽器のベストパフォーマーが並んでるんですけど、みんな3年生。で、「グランプリはSKIN-HEADzです!」って言われて最初は喜んでたんですけど、オレら1年生でステージに上がって表彰されてる時なんて、後ろから殺気感じるんですもん(笑)。「なんで1年のお前らがグランプリなんだよ」って感じ(笑)。審査員の中に「1年生でもグランプリを与えるべきです」みたいな人いたんだろうけど、オレら1年の時は思い出作り的な感じで出てたから、ある意味いい迷惑ですよ(笑)。いまだに言われますよ、大分市でカレー居酒屋をやってる先輩なんて「生意気な1年坊主がグランプリとりやがってって思ってた」って。今はスンゲェ仲良くさせてもらってるけど。

───大分のバンドマンって結構上下関係厳しい?

そうそう! 音楽やってるのに体育会系みたいな(笑)。昔からですよね。でもそういう上下関係があったからオレらも成長できたなって思ってます。大分の先輩バンドの皆さんありがとうございました(笑)。

家族以上の時間を過ごすメンバーだからこその悩み

───その後活動の拠点を福岡へ

メンバーの大学進学もありましたし、夏休中はツアーを回るとかしたんで、福岡以外でも結構いろんなところでライブやりましたね。

───SKIN-HEADzからircleにバンド名変更したのっていつぐらい? どうして改名をしたんですか?

2009年だったかな? CD出そうって話があったんですよ。その時の事務所の人から「SKIN-HEADzって名前じゃCD出せない」って言われて(笑)。オレらもなんとなくSKIN-HEADzってバンド名はどうかな? って思ってたとこだったんで、ircleになりました。

───ircleのバンド名の由来は?

バンドのプロフィールにごちゃごちゃ書いてますけど(笑)、“Circle”(集団)の頭の文字のCを取って、集団から一歩抜けたバンドって意味でつけたのが最初だったんですよね。

───中学時代から、大分〜福岡〜東京って拠点を移して、なおかつバンド名まで変更して、その間メンバー脱退とかなかったのがすごいですよね?

そりゃ色々ありましたよ。ここでは喋れないようなことも(笑)。中学からの付き合いですし、バンド結成する前から考えたらホント長い間いろんなものを共有してきたメンバーですから。でもね、最近なんか思うんですよ。あまりにも近い関係だし、長い付き合いだから言わなくてもわかるだろ?って感じで、肝心なことを言えないっていう悩みがあるんですよ。そこまで言わせる?みたいな(笑)

───夫婦の悩みみたいですね?

そうかもしれないですね。本当の家族より長い時間過ごしてるから、夫婦みたいな感覚でしょうね。

県内の高校生バンドが競う「Rock’n Roll High Shool」のゲストバンドで演奏する2009年当時のircle

夢は武道館のステージ

───東京に拠点を移してから自主企画のイベントをやっていますけど、2022年に別府市で開催されたHUMANisM〜超☆地獄編2022〜のフェスはすごかったですね?

自主企画のイベントって、最初は仲が良いバンドと一緒に何かしたいってところから始まるんですよね。オレら大きな後ろ盾があるわけじゃないし、オレらを知ってもらうには?ってことで自分たちで企画して、バンドをチョイスして、交渉して一つずつやっていったんですよ。超☆地獄編は、東京で活動してるオレらの仲間を引き連れて、故郷に錦を飾るって意識もあったと思う。でも、一緒に出たバンドよりオレらの方がカッコいいぜって思ってるから自主企画してるわけで(笑)、トリを務めるのもオレらなんで(笑)。

───でもホント大分でもあんなメンツであんなフェスが出来るんだって思った人いたと思うんですよ。

そうですね。いろんな人から「勇気もらえた」とか言ってもらえて素直に嬉しかったです。でも毎年とか考えてないです。オレらが「今だ!」って時にまた地元でやりたいなぁって思います。あれが終着点とか完成形じゃなくて、出発点だと思ってるんで。

───じゃぁircleとしての河内さんの次なる目標は?

次は武道館のステージに立ちたいです!武道館ってホント音楽家にはハードル高いんですよ。売れてるミュージシャンには空いてるスケジュールの話とかくるんでしょうけど。オレらにはまだまだ遠い場所、旅の途中って感じ。昔は武道館って野暮ったいって思ってました。でもそのステージに立てもしないのに、野暮ったいって思うことの方がバカなんじゃないかって思ったんです。今ならカッコつけずに素直に言えます。武道館のステージに立ちたいです(笑)。
自分自身、想像できないことって叶えられないって思ってるんですけど、最近こうすればイケるかも?ってなんとなくの道筋が見えてきたから武道館を目標にしたんです。いつになるかわからないけど。

大分県民よ! 地元に自信を持って発信して行こう!

───最後の質問ですが、大分県民に向けてメッセージをもらえますか?

えっと…大分の人に向けて…(しばらく考えた後に)
ヤベェ! 武道館とか言わずにビーコンプラザのコンベンションホールでワンマンライブやりたいですって言っておけばよかった(笑)。いやいやホント、武道館できてれば、ビーコンワンマンは見えてきますよね? そういうことですよね? 間違ってないですよね(笑)。
大分に住んでる時はそんなに感じてなかった当たり前のことが、県外に出ると見えてくるんですよ。そこらじゅうに温泉があって、料理も美味いし安いし、良い音楽家がたくさん出てるし、地元の人たちもちょっと荒いけど優しいし。もっと自分たちの街をディスるんじゃなくて褒めて行く時代になっても良いんじゃないのかな?
オレらが大分代表として音楽で大分のことを広めていくので、みんなも一緒に広めましょう! って感じでいいですか(笑)

河内健悟のオオイタ成分

2001年、大分県別府市の同じ中学校の同級生にて結成。人間味の溢れる熱いライブでオーディエンスを魅了する。「ジャパニーズロックの救世主」としてデビュー。
“人間らしさ”にこだわった「HUMANisM」というイベントを立ち上げ各地で開催している。
メンバー
河内 健悟(かわち けんご)
ボーカル・ギター
仲道 良(なかみち りょう)
ギター・コーラス
伊井 宏介(いい こうすけ)
ベース・コーラス
ショウダ ケイト(本名は、荘田 恵人)
ドラム・コーラス
HP https://ircle.jp/

 

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