中東で人気者のOitan!
“鷹鳥屋明”ってナニモノ?
鷹鳥屋明


テレビやラジオに中東の民族衣装で出演する男性を見聞きしたことありません?それ、「中東で一番有名な日本人」という異名を持っていた男、鷹鳥屋明(たかとりやあきら)さんです。実は大分出身で、インタビュー中も「トキハにあった吉野家が懐かしい」、「サティ、フォーラスがなくなって寂しかったなぁ」なんて思い出話をとても懐かしそうに話していました。ガンダムや仮面ライダーが大好きな少年時代を経て、大分舞鶴高校時代は陳舜臣の歴史小説にハマり歴史関連の書籍を読みあさり、歴史学を学ぶことを志して筑波大学へ進学。大学では好きなガンダムを語り合える仲間に出会い、アニメ・漫画好きも爆発、コミケにも参加。東洋史を専攻したことで中東の歴史の知識も深まり、アニメ、漫画、中東に詳しい青年に成長しました。で。そんな彼がどうして「中東で一番有名な日本人」になったのか?その謎を本人に直撃しました。

もはやお約束のコスチューム
中東の民族衣装で登場!

―おっと。そのお姿でいらしたんですね。
昨日もこの格好で府内町や中央町(大分市)を、自転車で爆走していました。「アノ人ナニ?」って周りの人は思っていたでしょうね。中東は暑いので、自転車はきついです。この格好で自転車に乗っている人はあまりいませんね。この民族衣装は公的な場所でも着られますので、現地ではスーツ代わりに着ています。イベントやパーティー、あと冠婚葬祭の時もこの格好ですね。

下戸サラリーマンにとっての聖地、発見
―では改めて。youは何しに中東へ?
社会人になって5年目の2013年に、外務省とサウジアラビア政府が主催する「日本・サウジアラビア青年交流団」というプログラムの外交団の一員に選ばれたのがきっかけです。
もともと歴史が大好きで。高校時代は図書委員をやっていて、ずっと歴史書を読んでいました。筑波大では歴史学を専攻。ずっと歴史を勉強してきたんですが、アカデミックに生きる方々の熾烈な生き様、環境を見ていたので、「アカデミーの世界、やべえな」って思って民間の企業に就職しました。ただ、私は当時の日本人サラリーマンとして致命的なお酒が飲めない体質で、最初に入社した大手電機メーカーでも、次に入った商社でも、相当苦労していたんです。高校時代にアルコールのパッチテストをやったら、腕全体が赤くなりましたからね。本当に弱いんですよ。でも当時はまだ、「アルハラ」なんて言葉はない時代。「飲まないやつは営業じゃない」「飲めば慣れる」みたいなことも散々言われて。大学時代から、酒を飲んでなんぼみたいな風潮が全く肌に合いませんでした。
でも、ある日仲良くなった、サウジアラビアに住んだ経験がある人から「サウジアラビアはお酒を持たず、作らず、持ち込ませずという国だよ!」と聞き及んで、「お酒を飲まなくても働けるなんて、最高やん!」と。そこから中東にハマっていきました。大学で中東地域の歴史を勉強していたこともありますが、「お酒が嫌だった」、そこがやはりスタートでした。そんな時に、日本の外務省が企画した「日本・サウジアラビア青年交流団」が募集されていることを知って、即応募。メンバーに選ばれて、実際に行けることになりました。サラリーマンですから、会社に無理を言って有給を使って行きました。今でもこの有給を許してくれた会社に感謝しています。

ノンアルなサウジ、最高!
―実際、サウジアラビアに行かれてどうでしたか?
このプログラムは、アラビア半島を横断して各都市を訪問、現地の人々との交流、史跡巡りなどを行うスケジュールで、短期間ではありましたが楽しかったです。向こうの暮らしや文化を知ることができたし、王侯貴族から庶民の方々まで広く見ることもできました。
大学時代に中東地域の歴史も勉強していたおかげか、案内してもらう建築物を建てた将軍の名前や王朝のことを知っていたので、「お、こいつ分かってんな!」って思ってもらえたし。そこで得た知見も溜まったことで、中東のことをもっと深く勉強するようになりました。
―ノンアルは?
男性もお酒なしで、浅煎りで強カフェインのアラビックコーヒーや、砂糖がいっぱい入った紅茶を飲みながら、何時間もカフェでしゃべっているんですよ。「(酒から)逃げるのは恥じゃない」というか。ありがたかったですね。
―外交団で訪問した後も、中東との関係は続いたんですか?
サラリーマンとして働きながら、休みを取って飛んで行ってましたね。一時は企業から離れ、NGO職員として中東に派遣されたこともあります。エルサレムの近くに住んで、ガザ紛争の復興支援と難民支援を行っていました。 その後も、仕事やプライベートで1年の3分の1から半分は中東にいました。1年に15往復した時もありましたね。

中東にも鶏めし?
―食文化はどうでしたか?
実は私、大分県民でありながら生魚が食べられないんですよ。関あじや関さばも焼いたもの、りゅうきゅうにも熱いお茶をかけて火を通さないと食べられない。でもスパイスは好きなので、中東の食事は本当に体に合いましたね。特に、スパイスと野菜、肉、米を一緒に煮込んだ中東版の炊き込みご飯が好きで。中東にいる間いつも食べていたので、あだ名が「炊き込みご飯」になったくらい(笑)。国によってスパイスや具材も変わり、名前も違うんですが、みんなが「うちのお母さんの炊き込みご飯の味が一番だよ」っていう家庭料理。お祝いの席でも食べるんですよ。
―それって、大分の郷土料理の「鶏めし」に似てません?
鶏めしの話もしましたよ! 「うちの実家にもあるぜ。ダジャージュ(鶏肉)とゴボウでやる、旨いのがあるんだよ」とか言ったら、そもそも向こうの人はゴボウを野菜だと認識してなくて(笑)。日本に行ったことある人に「木の根っことか食うの、意味わかんない」とか言われました。鶏めし、美味しいんですけどね。
外見だけじゃなく、知識もしっかり
―民族衣装を着始めたのは、いつから?
外交団でサウジアラビアに行った時に、リヤドの市役所の近くで初めて買ったんですよ。その衣装を帰国後に行われた外交団のイベントにも着て行ったら、そんな人は私しかいなかった(笑)。でもそれで、現地の大使館の人に気に入られちゃって。当時のバーレーンの副大使の方ですね。
その後もサラリーマンを続けながら休みごとに中東の国々に行くようになって、それぞれの国の衣装を揃えていったんです。ボタン1つがクエート、襟付きがカタール、襟なしがUAEなど国ごとに違うんですが、その違いを細かく分かった上でほぼ全部の国の衣装を個人で持ってる日本人は、他にいないんじゃないかと思います。家には70着くらいあって、ほぼ全部族、全種類が揃っています。テレビ局や舞台への中東の民族衣装の貸し出しも私がやってるんですよ。

―メディアで拝見する鷹鳥屋さんは、今日のような衣装のことが多いですね。
これはサウジアラビアバージョンです。「アガール」や「イガール」と呼ばれる黒い輪っかで、頭にかぶった千鳥格子のスカーフ、シュマッグを止めているんですが、作法上、このスカーフの額の中央の部分がピョンとハネてないとダメなんですよ。私は凝り性で、突き詰めるタイプなので、民族衣装や着方についても、その辺のアラブ人にマウント取れるくらいの知識量はあると思います。実際この「ディグラ」について知らないアラブの若者に説教をしたこともあります。あとテレビや映画を観ても、「あ、これ着方が間違ってるな」とかすぐ分かります。


インスタフォロワー数6.8万人!
「シャムスカマル」って誰?
―インスタはいつから始められたんですか?
外交団から帰った後のパーティーで会った人が、めちゃくちゃ有名人で。その人に「インスタやれ!」って言われたのがきっかけ。2014年か15年くらいじゃないですかね。で、民族衣装を着て京都や浅草などにいる写真をインスタにアップしてみたら、日本の伝統的な場所をこの格好でウロウロしているっていうミスマッチ感が、中東ですごくウケて。SNSが世界中で広がるタイミングに、ちょうど運良く乗れたんですね。当時、twitterのフォロワーなんて30人しかいなかったのに、あっという間に広がりました。
ちなみに今「中東で一番有名な日本人」は現在の在サウジアラビア大使の岩井大使なので、私は名乗れないと思います。なので正しい情報として「中東で一番有名な大分県民」を名乗っています。ただね、「コイツ、表面だけだな」って思ったら、みんな興味がなくなると思うんですよ。着ている衣装の国のことも、歴史のこともちゃんと勉強して、ちゃんと理解していることも必須だと思っているので、そこの部分の研鑽は今も続けています。今は中東各国の建国史を自分でもまとめています。

―でもインスタを見ると、名前が「鷹鳥屋明」じゃない!?
向こうでの僕の名前は、「シャムス カマル」です。実は一番最初に現地に行った時、「お前はその顔からして、アリーかフセインだな」とか言われて。いや、この顔でフセインって言われましても、と(笑)それで、自分で必死に考えたんですよ。名前が明なので、「『明るい』って、アラビア語でなんて言いますか?」と聞いたら、「ヌール」だと。これは「光」って意味なんですけど、女性の名前に多かったので、「明」を日と月に分けて。アラビア語で、日は太陽という意味の「シャムス」、月が「カマル」で、「シャムスカマル」って名乗ることにしました。

中東で有名。だけど肩書きはビジネスマン
―で、今のお仕事は。。?
それもよく聞かれます。今所属しているのは、エンターテインメント企業。日本のアニメや漫画、ゲームのIP(知的財産)担当、例えば、「このアニメの放映を外国でやりたい」 という話が上がってきた時に橋渡しをします。ありがたいことに色々な会社様とお付き合いさせていただいており、様々なキャラクターの版権やグッズ製作などを国内外で扱ってきました。2019年に、水木一郎さんとささきいさおさんがサウジアラビアでライブをした時は、前準備から現地のアテンドまで、全部担当させていただきました。

―アニメや漫画も、昔からお好きだったんですか?
久々に実家に帰って昔の写真を見たら、幼稚園や小学生時代にほとんどガンダムか仮面ライダーのグッズを持ってました。版権元の会社の方と一緒に仕事をした時は、「鷹鳥屋さん、ちょっとうちの作品に詳しすぎてヤバいです」とか言われました(笑)。小さい時、大分は放送局が少なくて放送されていない作品もあったので、大学時代にまとめて相当数観ましたね。その時のストックがあるおかげで、日本のアニメコンテンツを海外に紹介する時に、「ちゃんと作品をわかってる人」だと認識されて、仕事ができるのでありがたいです。中東の人と仲良くなる時にも、アニメの作品を新旧色々観ててよかったなと思いますね。「中東で人気の作品を教えてください」という質問などに答えるうちに、「国際オタクイベント協会(IOEA)」とも仲良くなって、4年前くらいから、IOEAの中東担当になっているんですよ。

帰省時も民族衣装。そんな息子に両親は…
―ちょっと聞きにくいんですが…。民族衣装を着て帰ってくる息子さんに対して、ご両親の反応は?
「少しは大分の役に立て」みたいなことを言われますね。あと、アニメや漫画コンテンツ、歴史の勉強などに力を注ぎすぎて、36歳で独身ですからね。もう、親に散々言われます。母親にえぐいプレッシャーをかけられていて、今お相手を募集中です!

好きなことを突き詰めろ!
でも勉強もしておこう!
―大分のみんなに、メッセージをお願いします!
「好きなことを突き詰めていったら、意外と生きていけるよ」みたいな感じですかね。まぁそれ全振りで生きていくのも難しいですが…そうですね、極端に言うと人間のバロメーターを五角形で表すとしたら、私なんかすごく尖った二等辺三角形だと思うんですよ。でもどうせやるなら、興味があることに賭ける方が人生面白いですよ、みたいな。
―でも鷹鳥屋さんは、筑波大学に進学されています。学校の勉強もしっかりやっていたんですよね?
していましたね。やっぱり基礎力がないと。私もこんな風に語ることができるのは、「この人はこんな格好してるけど、大学を出て、企業や商社に入って、国のお仕事を受けて、今エンタメ企業にいる」っていう過去や背景があるから。「この人は見た目は奇人か変人かもしれないが、まともな部分はまともなんだな」っていう、そのギャップはちゃんと維持しております。自分はビジネスマンなので、そこはちゃんとしないと。「まともなプロフィールでふざけたことをやる」をモットーにしているので、これからも続けていきたいと思っています。
おわりに
外見だけでなく、中東の歴史や文化について、さらに日本のアニメや漫画についての造詣があるからこそ、「中東で一番有名な大分県民」となった鷹鳥屋さん。オタクだからこその情熱やストイックさに、情報や自分自身についての冷静な分析力が加わることで、他の追随を許さない存在になりえたのだと感じました。そんな彼に今後やってみたいことを聞くと、「中東に関する入門書や、歴史入門書を書いて、日本の中東に対する意識をアップデートしたい」という答えが。そこではまたどんな面白い知識が飛び出すのか、楽しみですね。
鷹鳥屋明(たかとりやあきら)さんのプロフィール
1985年大分県生まれ。メーカー、商社、NGO職員として働く間に、「中東で一番有名なサラリーマン」として話題に。現在は日本のエンターテインメント会社で、漫画やアニメのアライアンス案件などを担当。2021年6月には、「私はアラブの王様たちとどのように付き合っているのか?」(星海社新書)を発行。中東で事業展開する会社や現地で働こうとする人、働いている人たちに人気を博している。