「クリスティアーノ・ロナウド、現代の大友宗麟説」を勝手に検証してみた!
クリスティアーノ・ロナウド


明治期の日本に西洋音楽を取り入れた滝廉太郎や、幕末から明治期にかけて活躍した福沢諭吉など、大分県には数多くの偉人がいます。
しかしながら、大分県民が「聞いたことはあるけど、よく知らない」という偉人も少なくありません。
そんな偉人たちをユーモアを交えて紹介することで、大分県を「知る」「考える」きっかけになればと考えています。
第一回目となる本記事では、大友宗麟について面白おかしく紹介していきます!
大分出身・大友宗麟とクリロナの意外な共通点
皆さんは大友宗麟(おおとも・そうりん)を知っていますか?
大分県民なら誰でも名前は聞いたことありますよね。16世紀半ばに九州北部の大半を有していた大名で、大分駅前に「これでもかっ!」ってくらい誰よりも目立つ像があります。
でも、大分県民でさえも、大友宗麟の功績を知らない人は多いはず。かく言う私もその1人でしたが、調べていて1つのことがわかりました。
「*クリスティアーノ・ロナウドとの共通点めっちゃ多くない・・・?(突然)」
この記事では、2 人の共通点を無理矢理こじつけつつ、大友宗麟の人物像を捉えていきます!
共通点①ポルトガル
クリスティアーノ・ロナウド(以下、クリロナ) → ポルトガル出身
大友宗麟 → フランシスコ・ザビエルとの交流、ポルトガルとの貿易を推進
1545年、府内に近い港に中国船が入港し、6、7人のポルトガル商人が乗っていたそう。
宗麟は当時16 歳。父の義鑑は「彼らを殺して財産を奪え」と言いましたが、宗麟は南蛮人を保護するよう父を説得。宗麟がこのような対応を取ったのは、排他的に外国人を受け付けない父とは対照的に、将来を見据えた開明的な考えを持っていたからでしょう。
異国の者でも寛容に受け入れる姿勢が、その後の南蛮貿易に繋がりました。
また、ポルトガルからやって来たフランシスコ・ザビエルは、宗麟が21歳の時に初めて出会った宣教師です。
宗麟は当初からキリスト教への関心を持っていましたが、実際に洗礼を受けてキリシタン大名となったのは48歳の頃。
戦国時代の中では、家臣の理解を得られなければ殺される危険性もあったため、慎重に行動していたのだと考えられています。
洗礼を受けた宗麟は洗礼名「ドン・フランシスコ」を名乗りますが、それほどまでにザビエルからの影響が大きかったのでしょう。
「南蛮菓子ざびえる」は大友宗麟が大きく関係しているわけですね。
共通点②スポーツ
クリロナ → サッカー
大友宗麟 → 蹴鞠(けまり)
クリスティアーノ・ロナウドがサッカー選手なのは皆さん知っていますよね。
そして宗麟は、実は蹴鞠の名手。
15から始め、30歳には室町将軍から技量が認められて「香之上(こうのかみ)*」の着用を許されています。
クリロナも23歳で、世界年間最優秀賞である「バロンドール」を受賞。
宗麟は蹴鞠の名手「上足」とも呼ばれていました。言わばエースストライカーでしょう。この辺りもクリロナとそっくりです。(彼もエースストライカー)
さあ、まだまだ共通点はあります。
*香之上は技量の高さを認められた者にのみ着ることを許された装束。
共通点③経済力
クリロナ → 生涯年収1000億円以上
大友宗麟 → 36万石(1万石が約30億円なので1000億円程度)
クリロナは、サッカー界で初めて生涯年収1000億円を超えた選手と言われています。
そして、我らが宗麟も36万石を有していたと。現在の日本円に換算すると約1000億円。
宗麟は九州の北部(九州6カ国)を占めていたわけですが、すごい財力。
改めて、大名って凄いです。
共通点④ゴシップ
クリロナ → 女性とのゴシップ多数
大友宗麟 → 女性とのゴシップ多数
2人とも、これだけの財力があれば、女性とのゴシップがあるのも頷けます(?)
クリロナはよくパパラッチされており、女性とのゴシップが報じられています。(詳しくは調べてみてください。笑)
そして宗麟も、バツ4で、7人の側室がいたとか。
噂では、好みの女性であれば部下の妻や娘でも略奪したとも聞きます。
ただし、「キリシタンをよく思わない者達が、史実を変えた」という説もあるため、その事実は定かではありません。
ただ、こんなところにも共通点が大ありです。
共通点⑤趣味
クリロナ → 車のコレクター
大友宗麟 → 茶道具のクレクター
クリロナは、高級車のコレクター。約17台を保有しているとか。
それまた、フェラーリやブガッティなどで、総額10億円との噂も。
また、宗麟も大金をかけた茶道具のコレクターでした。
秀吉が当時、「宗麟は茶が好きか」と千利休に尋ね、「なかなかの*数寄者です」と答えさせたほど。
武芸だけではなく、学芸や文化に通じた宗麟。
蹴鞠だけでなく、茶道などの文化的教養を持ち合わせていたわけです。非常にスペックが高い……!
*数寄者=茶の湯の世界ではその心を理解し、道具揃えや茶席の設定で表現できる者
共通点⑥影響力
クリロナ → Instagram でフォロワー2.2億人。世界一のフォロワー数。
大友宗麟 → ヨーロッパで作られた地図に「Bungo(=豊後)」と表記。
クリロナは、インスタで世界一のフォロワーを有しています。
その影響力が、経済力に繋がっているところもありますよね。
対する宗麟は、積極的に国際外交を進めました。
その結果、「大友宗麟」「豊後府内」の名声はヨーロッパに広く知れ渡ることに。
実際、ヨーロッパで作られた地図には、JAPANとBUNGOの文字が記載されています。それだけ宗麟の影響力が大きかったという証拠と言えますね。
共通点⑦地域への貢献
クリロナ → 出生地の島にホテルを建設
大友宗麟 → 育児院や高等教育機関の建設
波乱万丈な人生を歩む2人ですが、慈しみの気持ちも忘れません。
クリロナは「2015アスリーツ・ゴーン・グッド」にて1位に輝きました。この賞は、慈善活動を行うアスリートを一般市民が投票・選出するというものです。出身国であるポルトガルの癌センターに資金提供を行ったほか、社会・環境問題について広く発信してきた点が評価されたのでしょう。
また2016年には、クリロナは自身が生まれ育ったポルトガルのマデイラ島にホテルを建設しました。現地の市長が空港の名称を「クリスティアーノ・ロナウド空港」としたことなどから、地域の盛り上がりに貢献したことが分かります。
そして、多くの南蛮文化を受け入れた宗麟も大分の府内地域に大きく貢献しています。
ポルトガル人の医術を目の当たりにした宗麟は、西洋医術に深い関心を寄せ、商人であり医師でもあったルイス・デ・アルメイダを支持。1557年には日本初となる西洋式病院が府内に建てられました。
また、困窮した親が子を手放す様子を目にしたアルメイダは、宗麟に進言して育児院を設立します。乳母と牝牛が配された育児院では、子供の引き取りと育児が行われ、福祉施設としての機能を果たしました。
さらに、修道者や司祭の養成を目的として、「コレジオ(英語で言うカレッジ:大学)」が建設されました。コレジオは日本とヨーロッパの文化が学問的に交わる場として、また異文化を受け入れる土壌として多くの若者を育てたのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
クリスティアーノ・ロナウドと大友宗麟を比べてみると、かなりの共通点がありますよね。
もし大友宗麟が今の時代を生きていたとしたら、Instagramのフォロワー数はかなりのものだったかもしれません。日本一の渡辺直美以上……?
たとえ見慣れない異国の人でも寛容に受け入れ、良いものはどんどん取り入れていった宗麟。彼は日本国内に多大な影響を及ぼしただけでなく、ヨーロッパをはじめ、世界中に大分県の存在を知らしめました。
宗麟は300年以上も前に活躍した偉人ではありますが、将来を見据えた彼の生き様は、“これからの大分”を考える貴重なヒントとなってくれるでしょう。
この記事で紹介したこと以外にも、宗麟には様々な逸話があるので、是非ご自身でも調べてみてください!
ご読了いただき、有難うございました。