アートに惹かれたOitan

僕のサイ能を育ててくれた
大分に熱烈感謝

2022.06/27

大分に活動拠点を置きながら、ポップでカラフルな独創的世界観を醸し出す作品を描き続ける北村直登さん。路上で絵の販売をしていた彼の作品が、テレビドラマに使われたことをきっかけに全国区に駆け上がるまでの過程は、いわばシンデレラ・ボーイとも見られかねませんが、実際のところどうなのか。北村さんの深掘りインタビューをお楽しみください。

  

プロサッカー選手を目指して大分へ

 

───北村さんと大分の縁は、サッカーがはじまりでしたね。

福岡生まれの僕ですが、高校進学時に日本文理大附属高校(佐伯市)にブラジルサッカー留学制度があることを知り、進学を決めました。ブラジルではサッカー漬けの毎日を過ごし、スポーツを通じて人間関係ができることが楽しかったですね。でも帰国後、あらためて観光で行ったら全然面白くない。目的や自分の立場が明確でないと、コミュニケーションを楽しめないもんなんだなと思いました。

───サッカーでは、どこのポジションだったのですか。

ボランチを任されたかと思えばFWに抜擢されたり、DFもやったり…。“走れる選手”と評価されていたので、あらゆるポジションを経験しました。好きなサッカー選手をあげるとすれば、巻誠一郎選手と岡崎慎司選手。職人気質でありながら、メンタリティの強い選手が好きでしたね。

───北村さんもパッと見、“やさしいお兄さん”風だけど、結構メンタル強めなのでは?

そうありたいですね(笑)。社会人チームでプレーしている時、学生時代とは違う厳しさを実感しました。カテゴリー昇格に向けて高いレベルを維持しないと試合に出られないし、それだけじゃなくチームの運営まで全員で考えないとやっていけない。ここでメンタルが鍛えられました。プロ選手をめざして大分に来たけど、大学時代にキッパリあきらめました。

ファッションコーディネートでグランプリ獲得からの恥ずかしいアクシデント

───プロスポーツの道をあきらめて、どうしたのですか。

サッカーで埋まらなかったモヤモヤを解消しようと応募したのが、ファッション誌「メンズノンノ」のオーディション。なんと全国7都市・約4,000人の応募の中からグランプリを獲得しちゃったんです。

───えっ、メンノンのコンテストでグランプリを獲得したのですか!!

この小さな棚ぼた成功体験(笑)のおかげて、調子こいて別のオーディションも受けたんですよ。事務所所属の子に混じって一次審査を通過したはいいけど、次にあったのが演技審査。ところが座る演技をする時、小さめのズボンのポケットに財布を入れていたもんだからビリビリッと破けてしまって(苦笑)。パンツ見せたまんま最後まで演技を続行したけど、結果的に落っこちたんです。

───見せパンで演技とか、ある意味“記憶に残る”モデルだったのに残念!

オーディションが終わって古着屋で替えのズボンを購入し、傷心のまま表参道をウロウロふらついてたら、路上で絵を売ってる人に遭遇。「あ、そういえば子どもの頃から絵を描くのも好きだったっけ」と思い出し、さっそく大分に帰ってから絵の具を買い、数点ほど描きためて再び表参道へ出かけて路上販売を始めたんです。

 

路上画家時代に感じた大分の人たちへの恩義

───そこから画家としての人生が始まるとか、転んでもタダでは起きない強めのメンタルあってこそですよ。

表参道ではそれなりに売れ、そこから大分の商店街や地下道で活動するようになりました。当時は人物画とか大きな木をよく描いていて、100円とか200円とかでも片っ端から売っていました。アパートの大家さんに家賃を待ってもらいながらのスタートで、もし頓挫したら辞めてしまおうと決めていたんです。

───背水の陣でのぞんだわけですね。

当時の僕の絵を買ってくれた人に稀に会うことがあるんですよ。「うわーっ、今と比べるとヤバいレベルの作品にお金を出してくれて、ホントにありがとうございます!」という感じです。でも、この時の蓄積があってこそ、今につながっていると思います。描けば描くほど作品の質も上がっていると手応えも感じるようになり、いつしか大分で“画家”と呼ばれる存在になれたらいいなと考えるようになりました。それが僕を育ててくれた大分の人たちへの恩返しでもあり、今も活動拠点を大分から変えることがない理由になっています。

───路上で絵を描いていると、いろんな人に出会うのでは。

後で聞くと当時、美術関係のお偉いさんたちとも出会っていたらしいんです。そのうち先輩から日韓展に出品しないかと誘われ、韓国まで行くメンバーに選ばれたのですが、その時に大分空港で会った重鎮の皆さんが、地下道で声をかけられて絡んでいた人たち。ビックリしました(汗)。

───路上時代から数えると、これまで描いた作品数は膨大な数に及ぶでしょう。

うーん、ナンバリングを始めてからでも2万5千点だから、それ以前を入れると膨大な点数でしょうね。ナンバリングすることで、やる気にもつながるんですよ。でも10時間路上に座って1枚も売れない日もあったりして、「自分は社会に必要ないんだ」と思い詰めることもありました。それでも「1枚も売れなかった次の日は絶対に売れる!」という謎ルール(笑)を決めて出かけていましたね。

キタムラ・スタイル誕生秘話

───北村さんの独創的な画風は、誰か影響を受けたアーティストがいるのですか。

エゴン・シーレの人物画とかバスキアの画集は好きで、少なからず影響を受けているのかもしれません。実は今のスタイルは新しい絵の具を買うには全部使わないともったいないからと、すべての色を均等に減らそうとしたことがキッカケでした(笑)。加えてネット販売に移行したとき、画像をクリックさせる要素は色味やコントラストが優先されることに気づいて、そこを極めていった末に出来上がった作風でもあります。これは難しいこだわりがなかったからこそたどり着いたスタイルかもしれません。

───ネット販売に重きを置くようになり、作品も全国に知られるようになったのでは。

絵画販売サイトで僕の作品が上位にランキングされることがあり、おかげでアパレルブランドの担当者が声をかけてくれたんです。そこから伊勢丹新宿店で展示販売されるようになり、後にドラマ「昼顔」の監督になる西谷弘さんが僕の作品を気に入ってくれていたんです。で、フジテレビでの放映が正式に決まって、ドラマの中で使われる画家を探すことになり…。

───お、いよいよ来ましたね。

いや、実は監督自身は僕に声をかけたいとプロデューサーへ伝えたものの、不倫のドラマだし、作品に変なイメージがつくことに抵抗があったようなんです。結局お引き受けしたんですが、そこから主演があの上戸彩さんだと聞いてひっくり返ったという(笑)。ただ、そこからがハンパない作業量でした。タイトなスケジュールにもかかわらず、せっかく描いた作品が全然使われてなかったり、撮影の関係で同じような作品を何枚も描かされたり…。それでも全国に作品と名前が知られるようになったのは間違いないですし、僕の作品を選んでくれて感謝しています。おかげで活動もしやすくなりました。

出すぎた杭になってやろうじゃないか

───県外での活動も増えていますが、それぞれの県民性を感じることはありますか。

ありますね。作品にしても、大分だと初期から描いているキリンが一番人気なんですが、たとえば大阪だとカラフルな色づかいの作品が売れるし、横浜だと都会的で洗練された傾向のものが売れる。やはり県民性が表れますね。

───大分県は「出る杭は打たれる」土地柄だと言う人もいます。

それはどこでも同じだと思います。ならば、出すぎて打たれなくなるようになればいいと考えるようにしています(笑)。「自虐的で陰口をよく言う」とも聞きますが、これってストレートに言って相手を傷つけるよりマシでしょ。陰口くらい許してよ、という感じで(笑)。むしろ一番厄介なのが福岡です。他県の事なんて興味ないし、福岡のことが好きで好きでたまらない。何か悪口を言われても、剛腕を振るってねじ伏せてしまう。福岡生まれの僕が言うから間違いないですよ(笑)。

───来場者とのコミュニケーションをとりながらのアートイベントにも、積極的ですよね。これも路上販売時代から培われたものでは?

そうかもしれませんね。子どもたちが参加するワークショップだと、大分トリニータでスクールコーチをしていた経験も役に立っています。どうやってまとめるのか、いかにして興味を持たせたりするのか、締めるタイミングはいつなのかとか。世代や場所に限らず、イベントで直接会話を交わすのは楽しいです。

“じゃない”シーンから生まれた“対話する画家”

───大分市美術館で開催された「北村直登展」では2万8千人の集客を記録しました。

会期中(2021年7月22日~9月20日)は、1日休んだだけで毎日通いました。たくさんのお客さんと話ができて、僕も楽しかったです。ただし美術館側も、僕を起用することに悩む場面もあったと思います。そもそも僕はマトモに美術を学んだわけでもないですし、アートにおける方法論もほとんど語れません。僕が美術館で展示するのは、分不相応と思う人も少なからずいたでしょう。

───それを仮に美術界の“権威”と言うならば、確かに北村さんは対局の場に位置付けされそうです。

もともと僕の周辺に「画家」と名乗る人がいなかったし、であれば大分で画家と呼ばれる職業に就こうと思ったことが出発点でもありました。まだまだ発展途上の身ですが、これから実績を積んで、再度大分で大きな個展を開ければという考えはあります。

───先ほどネット販売の話が出ましたが、アートにマーケティングの方法論を取り入れることにも前向きですね。

商業主義だと批判される方もいるかもしれませんが、僕自身が表現したいものと、今の人たちが望むものとの最大公約数にアプローチした結果が、僕の作風だといえます。でも、これを現在を生きる人たちの好みを集約した作品と考えれば、それはそれで意味のあることだとは思います。

どこでバズろうが大分の北村直登”であることは変わらず

───最近はSNSでもバズっているようですね。TikTokの登録者数が軒並み増えていますし、YouTubeでは377万回再生の動画もあります。

YouTubeそのものは「北村直登展」の前くらいから始めていたけど、最初は全然うまくいかなくて、そこから踏み込むこともしませんでした。でも、あるイベントで中高生くらいの若い子たちが僕のことをまったく知らないということを知り、「いつまで経っても僕と出会わない人たちがいる」「彼らが大人になった時に僕は選ばれないんだ」と危機感を感じ、あらためてSNSに挑戦しようと決心。SNSに詳しいスタッフのサポートもあり、ガムシャラにやりはじめたところ、再生数も登録者数も増えてきました。

───確かに回を重ねるうちにエンタメ的な充実度が増してきています。

基本的に制作中の動画なんですが、喋りながら描く、早送りで短めにする、アンチなコメントにも答える、「俺って天才~」みたいな(笑)刺さるワードを入れるなど、バズるノウハウを体当たりで掴んできました。最近は両手を使って描く動画がウケてますね。若い子たちから教えられることも多いですよ。

───そうやって個展やSNSで全国に活動フィールドが拡がり、拠点を都市部に移すことは考えないのですか。

それは絶対にないですね。先ほども申し上げたように、僕を育ててくれたのは大分の人たちであり、その大分の人たちが大好きですから。納税するなら大分ですよ(笑)。

北村直登のオオイタ成分

 

 

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