アートに惹かれたOitan

何気ない風景から”エモ映え”を見つける。

芸術家赤瀬川原平

2021.10/26

InstagramやTik Tokなど、SNSに溢れるこの時代。“SNS映え”なんて言葉はもはや死語。今、求められているのは、単なる“映え”だけじゃなく、何気ない風景のなかで感じるエモさ=情緒。つまり、最高に今っぽワード「エモ映え」だとか。

今年は外出自粛に時短要請で、「今年の夏は海にも行けなかった」、「映えるスイーツも食べにいけなかった!!」とぼやいているSNS女子も多いはず。そんなSNS女子たちにおすすめなのが、大分ゆかりの前衛芸術家・赤瀬川原平が謳った「超芸術トマソン」。「路上観察学会」と題し、路上など身近なスポットで、面白さや魅力を見つけて調査・発表する活動をしていました。 今から約35年前に、街なかに隠れた情緒的な魅力を求めた赤瀬川。まさに、元祖インフルエンサーとも言える彼の歩みを振り返りながら、「超芸術トマソン」について見ていきましょう。

“キムラヤしか勝たん”状態だったおませな赤瀬川少年

▲赤瀬川原平

横浜生まれ、大分育ち、アートに魅了されていった赤瀬川少年。中学生の頃には、大分が誇る建築家・磯崎新をはじめ、前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(ネオ・ダダ)」を後に主宰する吉村益信、過激なパフォーマンスアートで知られる風倉匠など、世界中に知られるそうそうたるメンバーが集った美術サークル「新世紀群」から刺激を受ける日々が続きます。新世紀群のメッカは大分市府内町にあった、当時、大分唯一の画材店「キムラヤ」の裏のアトリエ。ここを拠点に大好きな絵を一心不乱に描いていました。当時の大分には前衛的なアーティストが集う場所はキムラヤしかなく、まさに“キムラヤしか勝たん、勝たんしかキムラヤ”状態!!次々に集まる若い才能たちと制作に夢中になっていました。

中学2年までおねしょをする繊細な赤瀬川少年。まだまだ戦後の貧しい物資事情の中、不発弾や電球など、身の回りのさまざまなアイテムに独特な視点で魅力を見出し、想像を膨らませていました。そして、大人たちの繰り広げる未知の世界に刺激を受け、切磋琢磨しながら才能が爆発しはじめていくのです…!

「キムラヤ」同様、大分には芸術家に愛された場所がたくさんあります。田能村竹田が訪れた戸次の「帆足本家」、川端康成に愛された長湯の「大丸旅館」など、さまざまな場所で芸術の大きなムーブメントが起こり、多くのアーティストを輩出してきました。

不思議な芸術集団の活動をオマージュ!?
アクアパークのピンクな映えトイレ

高校に進学すると、父の仕事の関係で名古屋に転居することになり、大分での芸術生活は終わりを告げます。その後は大分時代の先輩である吉村益信を頼って、武蔵野美術大学へ。吉村や荒川修作らで構成される「ネオ・ダダ」に参加し、グループ展を3回、「ビーチ・ショウ」と呼ばれるユニークなイベントを開催し、アーティスト活動を続けていました。

「ネオ・ダダ」終息後は、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3人の漢字の頭文字を並べた「ハイレッド・センター」を結成。このあたりから彼は、ビルの屋上から荷物を落とす「ドロッピング・ショー」など、平穏な日常に芸術を持ち込む“直接行動”を行います。芸術のスタイルが「モノ」から「コト」へと少しずつ変化していきました。

▲「ドロッピング・ショー」1964年 撮影:平田実
© HM Archive Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

さらに、1964年10月16日に清掃イベント「首都圏清掃整理促進運動」を銀座で実施。事前に参加を呼びかけるビラを散布し、当日は白衣姿のメンバーたちが、銀座・並木通りの舗道のブロックを雑巾がけしたり、横断歩道を洗剤で洗いました。

ちなみに、大分では現在、「大分圏清掃整理促進運動会」と称し、白衣を着てトイレ掃除をする、真面目な遊びと実益を兼ねたアートパフォーマンスが行われています。2015年に開催された芸術祭「おおいたトイレンナーレ2015」で大分市府内町のアクアパークに突如登場したイチゴのケーキ型トイレを覚えている人も多いのでは!?

はじめは衝撃的なトイレに賛否両論でしたが、徐々に街なかの名物して親しまれるようになりました。SNS映えスポットとして女子に大人気な場所だったと言っても過言ではないかも!?

惜しまれながらも令和2年度をもって元の姿に。待ち合わせスポットとしてたくさん利用させてもらいました。ありがとう、トイレケーキ!!!

▲作品名は「メルティング・ドリーム」。西山美なコ・笠原美希・春名祐麻作
※令和2年度に原状回復されました。

その後、イラストレーター、漫画家、小説家、写真家と多彩すぎる才能を発揮。多様な活動や柔軟な発想、年齢を重ねてもなお強まる好奇心で、芸術、反芸術、超芸術、秘密芸術など、あらゆる芸術を駆け抜けていきました。

▲「櫻画報」(写真提供:大分市美術館蔵)

芸術家?犯罪者?「千円札裁判」が控えめに言って最&高!

自身の個展案内状の片面に、千円札を印刷し、現金書留として封に包んで送付したり、テレビで模型千円札を灰皿の上で燃やすパフォーマンスをしたり、あいかわらずアヴァンギャルドな赤瀬川。当時世間を騒がしていたにせ札事件との関連を疑われ、起訴されてしまいます。これがアート界の壁を超え、赤瀬川原平の名を社会に轟かせた「千円札裁判」です。

「にせ札を作っているのではない。あくまでも自分は芸術活動をしていた」と主張。公判では名だたる顔ぶれの芸術家や評論家が証人として出廷し、芸術とはほど遠い裁判官や検事相手にそれぞれが独自の芸術論を展開される様子はまるで法廷の中でアート討論会が行われているようだったと言われています。法廷は絶句と笑いに包まれました。この大規模インスタレーションと化した裁判は5年に及び、マスコミなどでも取り上げられ、赤瀬川原平の存在を広く世間に知らしめることとに。

そんな赤瀬川、「たくさんの人から批判され、それに応戦するにはどう答えるのがよいのか…裁判で身についたものは“言葉の技術”」と話します。さすがは芸術家。視点が違います。それにしても「芸術」VS「社会」の裁判の様子……、気になります。

▲「模型千円札Ⅲ 」 (写真提供:大分市美術館蔵)

街なかに隠れた魅力を見つける!「トマソン」「路上観察学会」

トマソンとは、主に都市空間に見られる、不動産と一体化しつつ「無用の長物的物件」となった建築物の一部のことを指します。簡単に言うと街なかにある一見「ナニコレ?」と思うような無意味で役に立たない建築のこと。当時プロ野球チームのジャイアンツに助っ人外国人選手として在籍していたにもかかわらず、ほとんど活躍しなかったという「ゲーリー・トマソン」から名付けたとか。

こちらが、記念すべきトマソン第1 号の「四谷階段」。東京・四谷で赤瀬川が見つけた、上がって下りることしかできない階段です。「四谷怪談」をもじったネーミングにもユーモアが効いています。エスプリたっぷりの赤瀬川ワールド全開!!

▲「卜マソン黙示録 真空の踊り場・四谷階段」(写真提供:大分市美術館蔵)

赤瀬川がトマソン探査のために路上を歩きまわっていると、各分野の偉人たちが不思議とそれに吸い寄せられてきます。近代建築の遺構を探索していた有名建築家の藤森照信氏や「ハリガミ」を路上で探索していたイラストレーターの南伸坊氏、マンホール蓋観察家のデザイナー林丈二氏など、目的は違えど、志向を同じくする人々が集まって発足されたのが、「路上観察学会」です。メンバーたちの一番の楽しみは、路上観察を終え、みんなで部屋に戻り、現像した写真を見ながら、今日のベストトマソンを語り合うことだったそうです。

見慣れた街の魅力を再発見し、エモくて映える風景を写真に収めるトマソンの活動。いつもと少し視点を変えることで、新しい街の魅力が見えてくるはずですよ!

大分で赤瀬川を感じるエモ映えスポットに行きたい!そんなときは…

高校生の頃大分を離れてしまった赤瀬川。彼の感性を感じるSNS映えスポットを探したいなら、以下の場所に出かけてみては??

●ラムネ温泉館

まるでジブリ映画から飛び出したような斬新なデザインのこの建築は、竹田市にある「ラムネ温泉館」。この施設のプロデュースにも赤瀬川原平が関わっていました。建築家の藤森照信氏が建築デザインを、イラストレーターの南伸坊氏がキャラクター・ロゴのデザインを担当。藤森氏は自然素材と古くからの技術の融合で独創的で素晴らしく奇想天外な作品を生み出す建築家で、ラムネ温泉館の焼杉板と漆喰を組み合わせてできた白黒ストライプの壁、松の木がそびえ立つ銅板の三角屋根のファンタジックな佇まいは、SNS女子なら写真に撮って拡散したくなるはず!

その建築に負けず劣らずなんともカワイイのが、南氏が手掛けたキャラクターとロゴ。南氏はかの伝説のロールプレイングゲーム「MOTHER」シリーズ(任天堂)のキャラクターデザインで有名です。ラムネ温泉館ではオリジナルキャラクターをあしらった様々なグッズが販売されており、どれもオシャレで人気を集めているので、こちらも要チェックです。

▲赤瀬川は長湯温泉をこよなく愛したと言われています。

●大分のトマソンたち

大分県立芸術文化短期大学では授業としてトマソンに取り組んでいます。2015年に大分市美術館で赤瀬川原平の展覧会が行われたのをきっかけにトマソンを授業に取り入れています。於保政昭准教授が過去作品の傑作トマソンをピックアップしました。

▲大分県立芸術文化短期大の於保政昭准教授

➀無用扉三兄弟

大分市内某所、芸短の近くにあるトマソン。奇妙な形状の建物に「どこ行くの?」と思ってしまう扉が3つ。なぜこうなったのか色々な想像が膨らむ秀作です。

▲芸短生が見つけたトマソン「無用扉三兄弟」(大分市内某所/2021年報告)

②後がないお買い物

見たことがある方も多いかも!ガレリア竹町ドーム広場の近くにあるトマソン!芸短生のネーミングも秀逸!みなさんならこのトマソンにどんな名前をつけますか?

▲皆さんおなじみのこの看板

実際にトマソンに取り組んだ学生に話を聞いたところ、「トマソン探しに熱中しすぎると、何を見てもトマソンじゃないかと思える現象が起きてしまった」と話してくれました。これが芸短で有名な“トマソンハイ”の状態とか(笑)。トマソンハイになるまで必死になる必要はもちろんありませんが、旅行に行けない今こそ、身近な場所でエモ映えトマソンを見つけに街に繰り出してみませんか。

▲トマソン探しのトリコになった芸短生と於保政昭准教授

おわりに

中学生の頃から芸術家に囲まれ、成長していった赤瀬川氏。「心はいつもアバンギャルド」「何もないところに面白いものがある」。そんな彼の視点には、人生を楽しむヒントがあります。

見慣れた日常をユーモアに満ちた新鮮な作品としてとらえ、エモ映えスポットとして昇華させる。

そんな彼の独特のスタイルを実践してみると、退屈な繰り返しの毎日がぱっと明るくなるかもしれません!ぜひ、今度の休みはエモ映えトマソン探しへレッツゴー!

赤瀬川原平さんの経歴

本名は赤瀬川克彦。1937 年、横浜市に生まれる。 1941 年に大分市へ転居。 4 歳から高校 1 年までを大分で過ごした後、名古屋へ転居、愛知県立旭丘高校美術科へ転校する。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵科中退。昭和 35 年「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」、昭和 38 年「ハイレッド・センター」を結成し、前衛芸術家として活動。昭和 56 年、尾辻克彦の名で発表した小説「父が消えた」が芥川賞。平成 10 年「老人力」を出版。平成 26 年、 77 歳で死去。兄は直木賞作家の赤瀬川隼。

取材協力:

大分市美術館 菅 章 館長

大分県立芸術文化短期大学 於保 政昭 准教授

 

大分市美術館

上野の森の自然に溶け込むように建てられた美術館。常設展示室では、近世絵画から現代美術にいたる3,000点以上の所蔵作品の中から、国指定重要文化財の田能村竹田の豊後南画や髙山辰雄の日本画など、大分ゆかりの作家の作品を中心に展示しています。

大分県大分市大字上野865番地

電話 097-554-5800

開館時間 10:00~18:00(入館は午後17:30まで)

休館日 毎週月曜日(祝日・休日の場合はその翌日)

※第1月曜日は開館し、翌日の火曜日が休館(ただし、特別展会期中の火曜日は開館)

※年末年始(12月28日~1月4日)休み

 

大分県立芸術文化短期大学

1961年創立。元々は芸術系(美術科・音楽科)2学科だったが、1992年度より人文系2学科を増設。芸術系には短大卒業後に2年間の専攻科課程があり、4年制大学同等の学士の取得が可能。日本唯一の芸術系の公立短期大学であるため、全国から生徒が集まっている。

大分県大分市上野丘東1番11号

電話 097-545-0542

よく読まれている記事

関連記事

share

share