「不確実な時代はアート思考で問え。」
~大分の若者がいただいた金言~
BEPPU PROJECT代表理事山出 淳也


いきなりですが、みなさんはアートが好きですか?
今回は「アート」をテーマに、これまで様々な国で展示会やイベントを行ってきた経歴を持つ山出淳也氏に、学生からインタビューをさせていただきました。
山出氏は、別府市を拠点にアートNPOである「BEPPU PROJECT」を立ち上げ、地域や企業の課題解決に取り組まれています。
そもそもアートって何?という切り口から、クリエイティブに物事を捉えることで広がる可能性をご紹介します。今回は大学で学ぶことに疑問を抱きつつ山出さんの著書を読み、感銘を受け、街づくりに取り組む中村さんと、将来はカメラマンになる夢を持つ平末さんが学生の視点でインタビュー。
記事を通して学業や仕事に活かしてもらえると幸いです。
アートは社会に問題提起を行うもの

中村さん
山出さん、今日はよろしくお願いします!早速なんですが、そもそもアートって何なのでしょうか?
山出さん
こちらこそよろしくお願いします。
アートっていうのは、これまでにない物事の考え方や見方に気づかせてくれるものだと思うんです。
中村さん
???
分かるような、分からないような……。
山出さん
少し例え話をしますね(笑)。
1917年に芸術家のマルセル・デュシャンは美術館に架空の人物のサインをした便器を作品として展示し、物議を醸(かも)しました。
中村さん
便器って、やばいですね。
山出さん
便器は新品ではありましたが、多くの方は「便器=汚いもの」というイメージを持ってしまうでしょうね。
当時も、「自分で作っていない作品を展示することは、神聖な芸術に対する冒涜だ」とか、「便器を美術館に持ち込むとは何事だ」という批判がありました。
それに対して、マルセル・デュシャンは、「便器の有用性を取り除いて物として美術館に置いた。自分は『それを選んだのだ』」と言ったんです。
中村さん
「自分が選ぶ」かぁ。なんだか哲学的ですね。
山出さん
そうなんです。
この作品を通してデュシャンは、物を美術館に置くことでアート作品としてみなされるのであれば、何を置くかではなく、どこに置かれるかが重要だという問いを突きつけました。
また、ものを作ることばかりがクリエイティブではありません。そこに新しい価値や意味を見出し、それを「選ぶ」ということもまた、クリエイティブなことなんです。それ以来、アーティストたちは「自分にとってのアートとは何か」を常に思考するようになりました。

平末さん
アートって、意味合いが広いというか、それを作る人によって考え方が異なる面もあるんですね。
山出さん
アートというものは、古いものを失くしたり壊したりするものではなく、異なる見方があることを提案したり、問題提起をしたりするものなんです。
平末さん
そういえば、ゴミを使ってアート作品を作った人のニュースを見たことがあります。
たしかに、そのアートでゴミについて考えさせられました。
山出さん
アートには、そうやって作品を見た人の心に何かを訴えかけたり、行動を促したりする作用もあります。そこで何を感じるかは人それぞれで、間違いも正解もありません。アートを通じてお互いの違いや個性を知ることは、福祉やダイバーシティの考え方にも通じます。
平末さん
ダイバーシティ……、多様性ですね!
山出さん
そうです。
小さい時は、「人と違うことが恥ずかしいことだ」と考えていた人もいるかもしれません。しかし、アートを通じて「そんな面白い思いつきをしたんだ」「そんな視点があったんだ」など、多様性を認め合うことの大切さを伝えられるんです。
平末さん
おおお、アートって「ただ見るもの」として捉えていましたが、多様性や問題提起を社会に投げかけるなど、奥深いんですね!
アートは社会に問題提起を行うもの

平末さん
続いての質問に移りたいと思います。山出さんは「アートで街づくり」をされていますが、具体的にどういった取り組みをされているのでしょうか?
山出さん
私たちBEPPU PROJECTでは、 アートを活用して企業や地域の課題解決に取り組んでいます。
平末さん
もともとアート関連に携わっていたんですか?
山出さん
若い頃はアーティストとして活動していました。
BEPPU PROJECTを立ち上げる前ですが、私は20代の頃からアーティストとして、海外を拠点に活動していました。
平末さん
海外で仕事するなんて、羨ましいです!ちなみに、どこに行ったんですか?
山出さん
ニューヨークやパリなど、各国の展覧会に招かれ、多い時は一週間で3カ国を回ったこともありました。
若い頃に思い描いた生き方でしたが、活動を続けるうちに、当時のアート業界に違和感を感じるようになりました。
中村さん
そういう思いが帰国というか、大分に帰ってくるきっかけだったんですか?
山出さん
帰国の大きなきっかけとなったのは、たまたまインターネットで読んだ別府の記事でした。その記事には、それまでは団体客を対象にしていた別府の旅館経営者や地域の方々が、個人向けのまち歩きプログラムを始動し、別府のファンづくりに取り組んでいるということが書かれていました。
目先のお金ではなく、別府が好きな仲間を増やすために行っている活動が心に響き、私も「出身の大分に戻って、何かできることはないか」と思ったんです。
中村さん
挫折とかではなく、やりたいことみたいな心の声に従ったんですね。
山出さん
大分に帰ってきたのは、2004年の秋でした。
中村さん
久々に帰ったら、ギャップを感じませんでしたか?
山出さん
幼少期の私にとって、別府はいつも賑やかな憧れの街である反面、酔客が多く怒鳴り声が聞こえたりもして、少し怖い印象もありました。
しかし実際に帰ってみると、別府の商店街には人がほとんどおらず、シャッターも閉まっていたんです。ここまで人がいないとは思っていなかったので、最初は帰国したことを後悔したのを覚えています(笑)。
中村さん
大学から大分の別府に来たので、そういう歴史というか変化があったんですね。帰国してから事業を始めることになったのも、こうしたギャップがきっかけですか?
山出さん
そうですね。
帰国後に別府の現状を目の当たりにして、改めて街との関わり方を考えるようになりました。例えば、商店街でシャッターが閉まっている空き店舗を活用すれば、展覧会やイベントができるんじゃないのか。そういう空間の活用を考えて実践することで、新たな可能性を示すことができるんじゃないかと思うようになりました。

中村さん
そういう見方ができるんですね。私はシャッター街を見たら、「閑散としているなぁ」という印象しかありませんでした。
山出さん
感じ方は人それぞれで、正解はないので、その感覚も大事だと思います。
都会では展覧会を開こうしても、空きスペースを見つけるのが大変ですが、別府には空き店舗がたくさんある。私はそこに関わりしろや余白のような「この街だったら色々できるんじゃないか」っていう可能性をすごく感じたんです。
中村さん
関わりしろ……。伸びしろみたいなものですね。
山出さん
そこで、翌年の2005年4月にBEPPU PROJECTを立ち上げ、様々なプロジェクトを展開するようになりました。
平末さん
ちなみに、どれくらいのプロジェクトに関わったんですか?
山出さん
設立から10年ほど経ったころに出版の話があり、実現した事業を数えてみると、1000を超えていましたね(笑)。

平末さん
1000!?やばいですね(笑)。代表的なプロジェクトはどういったものがありますか?
山出さん
代表的なもので言えば、アートイベントの開催や教育関連の事業を展開しています。
アート関連の事業は、「in BEPPU」という芸術祭を企画・運営しています。「in BEPPU」は大きな企画で、10万人規模のお客さんが来てくださいます。
教育関連であれば、アーティストを大分県内の学校に派遣して、アーティストが授業をすることも行っていますね。
平末さん
アーティストの授業、受けてみたいですね。こうした事業を続けて、何か変化はあったんですか?
山出さん
「アート」を切り口に、たくさんのアーティストが関わるようになると、中には「別府に住みたい」って言うアーティストも出てくるんですよ。
そこで、2010年から清島アパートっていうアーティストの活動拠点を用意することになりました。
そこに住んでも良いですし、広さや周辺環境など制作の場に求める具体的な条件があれば、それに合った物件を探してご紹介するなど、移住や定住のお手伝いもしています。
中村さん
清島アパートも行ったことがありますが、すごく刺激的な場所でした!あそこも山出さんが関わっていたんですね。
山出さん
ほかにも、高齢者や障がいのある方など、展覧会に行くことが困難な人たちにもアートを体験してもらえるように、福祉施設にアーティストの派遣も行っています。
中村さん
まさに、「アートで街づくり」!
ただのイベントや仕事に留まらず、社会に影響を与えられるプロジェクトをされているんですね。
クリエイティブな観点は万能?

中村さん
BEPPU PROJECTの代表を務め、さまざまな事業をされていらっしゃる山出さんですが、アートやクリエイティブの重要性をどう捉えていますか?
山出さん
昔から言われていることなんですが、人が人らしく生きられる希望として文化が必要なんです。
中村さん
人らしく生きられる希望ですか……。もう少し詳しく教えてください!
山出さん
例えば、阪神淡路大震災が起こった時、各地から水や食料などたくさんの物資が送られてきました。そんな中、震災直後にある有名歌手が現地で慰問コンサートを開催しました。
そうすると、被災された方たちは物資を取りに行くよりも、コンサートに行くことを優先しました。
中村さん
そのコンサートが文化ということですね。
山出さん
そうなんです。人が生きる上では食べ物や水が必要ですが、人が人らしく生きるためには文化が必要なんです。
つまり、アートの存在は心に関わってくるものなんです。
平末さん
僕は漫画を文化だと思っていますが、これがないと人生が楽しくない気がします(笑)。
山出さん
ただ、今は少し観点が違ってきていると感じます。例えば、かつて携帯電話はデザインをどうするか、いかに軽量化するかという観点で新モデルを開発し続け、どんどん便利になっていきました。これはデザイン的な観点であり、いかに使いやすくするか、現状の課題を解決するかという考え方です。
一方、ある人が現代のコミュニケーションとは何かを考え始め、「その中心にあるのはインターネットだ」と気づいたことから生まれたのがスマートフォンです。確かに、写真を送りあったり動画を共有したりして話ができるのは楽しいですよね。
平末さん
改めてジョブズの凄さがわかります(笑)。

平末さん
なんとなく生まれたのではなく、「どうすればコミュニケーションがより良くなるか」を追求した結果なんですね。
山出さん
「通話とは何か」、「コミュニケーションとは何か」といった問いを生むことがスマートフォン開発のきっかけとなりました。これは、アートの考え方に近いと思います。
中村さん
問いを出して、考え抜くことがアート的な考えかぁ。アートやクリエイティブのことがだんだん分かってきた気がします!
山出さん
つまり、これまで「こうだ」「これが美しい」とされていたものに対して、そうじゃない考え方として「こういう見方もあるんじゃないか」と問題提起するのがアーティストなんです。
中村さん
視点を変えることで見える世界や、アプローチの仕方が違ってくるってことですか?
山出さん
そうなんです。誰も答えを持っていないからこそ、10人いたら10人が違う考え方を持つのは、企業の経営でも人生を生きていく上でも重要な観点だと思います。
アーティストとして世界を周っていた私も、さまざまな土地で見聞きしたあらゆる情報から多くのインスピレーションを受けています。
世界的に見ても大分にしかない価値はたくさんあります。
今までやったことのないことでも、情熱を持ってチャレンジし続けることに意味があるので、若い方たちと共に新しい可能性を模索していければと思います。
平末さん
おっしゃる通りだと思います!学生から見ても、別府だけでなく大分は見所がたくさんある場所です。
ぜひ大分県を盛り上げるために、学生の今からでもいろんなことに挑戦してみたいです!
【学生の悩み】にクリエイティブ視点で答えてもらった

中村さん
今、大学1回生なんですが、全然興味のないことを勉強していて、「大学に行く意味あったのかなぁ」と思うことがあります。このまま通い続けた方が良いのでしょうか?
山出さん
それを伸びしろだと捉えてみてはどうでしょうか。
何事も、どんな経験をするのか、どういう風に学ぶのか、そしてそれをどう生かすのかによって、これから身につけられることはたくさんあります。
今興味があることは、これまでの経験から生まれたこと。その範囲の中でこれからの可能性を決めてしまうのはもったいないと思うんです。
どんな経験も、生かすも殺すも全て自分次第です。自分が求めていないものでも、大学で過ごす時間で得られるものはたくさんあります。
わからないことや知らないということを大切にしながら、何事にも貪欲に取り組んでみてください。
もう一つの観点で言うならば、私は今50歳です。50年間でいろいろ経験をしているから、何かあってもそれを過去の経験と結びつけて記号的に処理してしまい、本質的な大切なことに気がつかないこともあります。
全く経験がないことは、むしろ物事をまっさらな目で見られることでもあり、とても貴重なことだと思います。私からすると羨ましくも思えます。
だから、今の観点や感性を大切にしてくださいね。

平末さん
これからクリエイターやアーティストになりたい人は、どこか大学や専門学校などで勉強した方がいいのか、あるいは自ら行動していけばいいのか。山出さんはどう思われますか?
山出さん
そもそも、「問題解決」を図るデザイナーと「価値創出」するアーティストは違います。
社会的ニーズを考えるとやはりデザイナーが求められていて、経営者こそデザインとは何かを考える必要があるんですね。でもほとんどのデザイナーが言うのは、最後のデザインなんて1%くらいで、99%は「課題をどう解決するか」や「課題を解決したらどうなるか」という『整理』なんです。だからこそ、デザイン会社や代理店などで働いて学ぶのが王道っちゃ王道。
かたやアーティストは、「美術の先生になったらなれる」とか「修行をしたらなれる」とかでもない。ある意味では誰でもなれる自分発信のもの。でもおそらく、美術の先生とかではなく、アーティストとして生活していける人はごくわずかでしょうね。アーティストのまま死んでいく人って、1/10000の確率もないと思います。かなり難しいんですよね。

山出さん
それでも必要であればやればいいし、生きる術も自分で見つければいい。もっと言えば、プロとして100%アートだけでやっていけなくてもいいと思います。
でも結局、子供が絵を描きたいってこともすごく有名なアーティストも出発点は一緒なんです。その情熱がずっと続いているかどうかの違いなだけなんです。
それが世の中に認められてお金に変わることもあれば、認められずにゴッホみたいに死んだ後で認められるってこともある。
結局、続けるってことかな。
街づくりも一緒。終わりがないんです。

山出淳也さんの経歴
1970年に大分県大分市で生まれる。19歳の時からアートで生きていくことを志す。海外を拠点にアーティストとして活躍後、2004年に帰国し、翌年の2005年にNPO法人 BEPPU PROJECTを設立。企業や自治体、行政といったクライアントからさまざまな相談を受け、課題解決のためのプロジェクトを実施している。
<実績・受賞歴など>
別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」 総合プロデューサー(2009、2012、2015)
国東半島芸術祭 総合ディレクター(2014)
おおいたトイレンナーレ 総合ディレクター(2015)
「in BEPPU」総合プロデューサー(2016〜)
第33回 国民文化祭おおいた2018 市町村事業 アドバイザー
文化庁 文化審議会 文化政策部会委員(第14期〜16期)
グッドデザイン賞 審査委員(2019〜)
山口ゆめ回廊博覧会 コンダクター(2019〜)
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)
【ミニコラム①】アーティストが集う清島アパート

1950年ごろに建てられた清島アパートは、3棟22室からなる下宿アパートでした。2009年の別府現代芸術フェスティバルで使われたことをきっかけに、イベント終了後もBEPPU PROJECTが運営を続け、アーティストの活動拠点として運営しています。
1階をアトリエやプレゼンテーションルームにしており、2階をアーティストやクリエイターたちの居住空間として使用。
予約をすれば見学もできるので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
【清島アパートの詳細】
住所/大分県別府市末広町2-27
アクセス/別府駅より徒歩約10分
【ミニコラム②】こんな場所も山出さんが関わってます
山出さんはBEPPU PROJECTを通じ、数々のプロジェクトに携わってきました。中には「え、これもそうなの!?」というものもあるので、いくつかご紹介します!
<SELECT BEPPU>


アーティストのマイケル・リン氏と地元の建築家らとともにリノベーションした、100年の歴史を持つ長屋をミュージアムショップとして展開しています。1階では別府にゆかりのある作家や職人たちの作品が並び、2階ではマイケル・リン氏の鮮やかな襖絵の鑑賞が可能です。
【SELECT BEPPUの詳細】
住所/大分県別府市中央町9-34
アクセス/別府駅より徒歩約10分
定休日/火曜・水曜(祝日の場合は営業)
<うみたまご あそびーち>

大分県民であれば誰しも見聞きしたことがあるかもしれない、水族館の「うみたまご」。
「動物と遊ぶ×アートと遊ぶ」をテーマに、うみたまご内に設けられた「あそびーち」のアート作品にも山出さんが関わっています。
【うみたまご あそびーちの詳細】
住所/大分県大分市神崎 字ウト3078-22(大分マリーンパレス水族館「うみたまご」内)
入館料/2300円(大人)、1150円(小・中学生)、750円(4歳以上)
アクセス/東九州自動車道「別府IC」より約20分、「大分IC」より1約15分
<『GALLERIA MIDOBARU』>

2020年12月18日に別府市堀田温泉に株式会社 関屋リゾートのホテル『GALLERIA MIDOBARU』(ガレリア御堂原・みどうばる)がオープンしました。
館内には、今注目される日本人アーティストの約30点の作品が設置されています。
『ガレリア御堂原』のコンセプト立案・アートキュレーションを山出さんが担当しました。
【GALLERIA MIDOBARUの詳細】