ハーバード大学とジュリアード音楽院を首席卒業した才女に
とり天好きか聞いてみた


大分出身でアメリカのハーバード大学を首席で卒業した、という経歴を聞くと、どんな人を思い浮かべますか?
ヴァイオリニストの廣津留すみれ(ひろつる・すみれ)氏は、高校まで大分市の公立学校に通い、アメリカの名門ハーバード大学に入学。なんと首席で卒業しました。
そして、ハーバード卒業後は音楽の名門ジュリアード音楽院へ。驚くべきは、ジュリアードでも首席卒業したことです。グローバルな環境で培った経験を、大分の若い世代に向け積極的に発信している彼女はどんな人なのでしょうか。
「とり天は好きですか?」という質問に始まり、これまでとこれからの人生。
そして、大分の魅力について聞きました。
音楽に打ち込んだ大分での18年

とり天ですか? もちろん好きですよ(笑)。大分県の名産といえば、かぼすが大好きです。今でも、食べ物や飲み物なんにでも入れて味わっています。
ハーバード大学、ジュリアード音楽院卒業と聞くと、海外留学経験があると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、私は生まれも育ちも大分県大分市。大学進学を機に海外での生活をスタートしました。もちろん、高校卒業までの18年は、みなさんと同じように温泉に浸かり、小中高と公立の学校に通いました。

そんな大分での18年間の最優先事項は、ヴァイオリンでした。私は3歳からヴァイオリンをはじめ、物心ついた頃には楽器を手にしていました。
ヴァイオリンは私にとって、それこそ食事や歯磨きと同じく習慣のような位置付けで、当時から現在まで欠かせないものです。遊びや勉強より、何よりも大切なヴァイオリンにかける時間を確保することを一番に考えていました。
レッスンの時間を確保するために、学校にいる間に宿題も終わらせていました。後で復習をしなくても良いよう、授業ですべてを取り入れることをひたすら心がけていましたね。
大分からハーバードを目指したきっかけ

音楽一色で、日本の大学への進学すらも考えていなかった私が、なぜハーバード大学に行くことになったのか。
きっかけは、高校生の時に初めてパスポートを取って出場した、イタリアでのコンクールでした。優勝してアメリカでのツアー権をいただいたんです。
ツアーでは、アメリカのいくつかの州をまわり、最後はNYのカーネギーホールでの演奏でした。
そこで、ボストンにあるハーバード大学が近いことを知り、「ハーバードって本当にあるか見てみよう!」という軽い気持ちでキャンパスツアーに参加しました。
キャンパスでは、現役のハーバード生が案内役をつとめてくれたんですが、そこでハーバードの魅力を知り、衝撃を受けました。
日本の大学では専攻を決めて入学しますが、ハーバード大学は途中で専攻をどんどん変えられるんです。さらに、課外活動が活発だということもポイントでした。
というのも、その頃すでに「学業とヴァイオリンの両立」が人生のテーマになっていたので、ここでなら両方本気で100%の力で取り組めると確信しました。
人生を変えたハーバード大学での経験

高校2年生の時に「ハーバード大学に入る!」と決めると、すぐにアクションを起こしました。
大分の公立高校からハーバードを受験する前例はありませんから、先生もどうサポートしていいか分からないですよね。幸いにも、私の世代はインターネットがあったので、すべてを一から調べて、入学のためのTo Doリストを作成しました。
もちろん、アメリカの大学なので英語力は欠かせません。母が英語塾を開いていて、4歳の時に英検3級に受かっていたこともあり、英語には自信がありました。
しかし、アメリカ最高峰の大学を受験するとなると、2万語レベルの英単語を覚えないと難しい。数学や化学の用語も英語で覚え直したり、母国語が英語の人にすら難しい読解問題を解く必要があります。
さらに、アメリカの大学入試には高校の成績・推薦状・人間力を見るための面接・課外活動の履歴など、様々な要素が必要です。
簡単な道のりではありませんでしたが、ハーバードに入学した後に待っている刺激的な毎日を考えてがんばりました。
そして、周りの方に支えていただきながら、ハーバードに現役合格することができ、アメリカへと渡りました。
それまで音楽に打ち込んできた私ですが、実は音楽を専攻する気はなかったんです。課外活動で音楽をやって、勉強は違うトピックをやろうと。そのため、最初の専攻は応用数学、次は社会学と紆余曲折を経ました。
ただ、大学3年生の時に、世界的チェリストであるヨーヨー・マ*と共演したことで、自分のなかでの「音楽」に変化が訪れました。

それまで、音楽はいわば自己満足で、「楽しい!」で終わるものでした。しかし、彼との共演で、音楽は世の中の問題解決のすごいツールになりえることに気づいたんです。
演奏するだけでなく、観客との交流を取り入れた演奏会や、音楽を通した学びの場を設けることで、音楽を通して教育事業や社会貢献ができる。
つまり、音楽が私にとって、世界にとってパワーになった。
そこで、「私、音楽やらないと! せっかくヴァイオリンが弾けるんだから!」と、思考が変わりました。
それから、主専攻を音楽に変更し、副専攻としてグローバル・ヘルス(国際保健)を学び、最終的には首席卒業となりました。
*ヨーヨー・マ氏は中国人の両親のもと、フランス・パリに生まれる。4歳から父親にチェロを学び、やがてジュリアード音楽院でレナード・ローズなどに師事。ハーバード大学卒業。アメリカ・ニューヨーク在住、世界的に有名なチェリスト。
ジュリアード音楽院で気づいたこと

大学を卒業すると、どこかで働くことを考えます。私の場合、「アメリカにもう少しいたい」と思いました。
ハーバードは様々な学問を学べる環境でしたが、人生で一度は音楽だけの学校で学びたいという思いもありました。
NYに住んでみたいと感じていたので、ジュリアードを受けようと。そこで、出願期限2ヶ月前から寮の地下の練習室にカンヅメになって、準備をはじめ、いくつかの試験を経てジュリアード音楽院に入学しました。

ハーバードは多様性と個々の才能を尊重する文化がありますが、ジュリアードは音楽という基準のみで評価されます。全く違う環境なので慣れるまで苦労しましたが、最終的には首席で卒業することができました。
このジュリアードでの経験は、卒業後に音楽コンサルティング会社を起業するきっかけとなりました。
それは、音楽一筋で生きてきた学生たちが、社会に出てからその才能を存分に発揮できる仕事に就くのが難しいことに気づいたからです。
ジュリアードだけでなく、ハーバードで幅広い視点から学んだ経験があるので、才能のあるアーティストたちにアドバイスできるのではないかと。
しかし、自らの演奏活動と会社勤務を両立させるのは難しい。であれば、自分で会社を作れば良いと思い立ち、NYで起業しました。
世界に出て気づいた大分の魅力

ハーバードにいた頃、大学2年生くらいまでは「あと少ししたら大分に帰れる!」と、帰省までの日数をカウントしていたくらい大分が好きですし、日本にいる友人たちと比べても、よく帰省していたほうだと思います。
そして、離れて分かったのは、大分にいると普通のことでも、外から見れば全然普通じゃないことってたくさんあるんです。例えば、温泉。アメリカに行って浴槽のないお風呂を見た時の衝撃といったら(笑)

あとは、魚介類が本当に美味しい! アメリカではスーパーで買える魚といえばほとんどサーモンです。例えば東京であったとしても、大分ほど新鮮でしかも安いお刺身はありません。それって、大分の素晴らしい魅力なんです。
音楽でいえば、毎年別府で「別府アルゲリッチ音楽祭」が開催されますよね。私も14歳の時に演奏させていただきましたが、世界的ピアニストのアルゲリッチが毎年必ず大分で演奏をするって、ものすごいことなんです。
なんで大分なんですかね?(笑) 世界規模で見ても、本当に素晴らしいことです。
様々な生き方を知るためにも、まずは外に出てみる

そんな大分で育った私は、海外の名門大学で学ぶ機会を得ました。同時に、私がハーバードで得た経験と人とのつながりを、大分の未来に活用できないかと常々考えていました。そして、大学1年生の時に母と話していると、ある考えが浮かびました。
英語をツールとして、ハーバードの多様性や考え方ロジカルな思考法を、大分しか知らない若い世代に知ってもらえる機会づくりができると思ったんです。
母が英語を教えていることもあり、英語を学びたい生徒がいることは分かっていました。そうした生徒をはじめ様々な世代に、英語を学ぶだけが目的ではなく「英語をツールとして」使いながら、ハーバードの学生から最前線の学問やクリティカル・シンキングを学べる。そんな教育プログラムを発足しよう、という母の発案に大賛成し、共同設立することとなりました。

そうして、2013年から始まり、毎年大分市で開催されているのが「Summer in JAPAN」です。全国はもちろん世界約15か国から集まった約100名の小中高生を対象に、毎年約100人の応募から選抜した12人ほどのハーバード生が、英作文やワークショップをレクチャーしています。毎年続いており、8年目の今年は初のオンライン開催となりました。
この事業のきっかけは、「大分しか知らない若い世代に、外の世界を知ってもらう」ことですが、それは、かつての私も同じような状況だったからこそです。
インターネットが普及した現代であっても、東京と地方の情報量や情報の入手のしやすさには壁があると感じます。それは結果的に、地方における生き方の多様性が限られてくることにも影響を与えると思います。
ただ、私が留学を機に、大分からボストンへ行ったように、住み慣れた世界から飛び出して違う世界を知ることで、学ぶことは非常に多いです。
留学がすべてではありませんが、経済的な理由や時間のなさを理由に「想像がつかない、無理だ」と諦めてしまっては可能性さえなくなります。
まずは外の世界を知ることが大切です。
次の世代に対して、そうした機会づくりができるように、私も新しいことにどんどん挑戦していきたいと思います。

廣津留さんの経歴
大分市生まれ。バイオリニスト。
地元の公立高校から、2012年ハーバード大学に現役合格、2016年に首席で卒業。ジュリアード音楽院の修士課程に進学。首席卒業後、ニューヨークで音楽コンサルティング会社を起業。
世界的チェリスト・ヨーヨー・マとの度々の共演やゲーム『ファイナルファンタジー』シリーズのサウンドトラック録音など、ジャンルにこだわらず幅広く活躍。2010年にNY・カーネギーホール、2019年にワシントンDC・ケネディーセンターにてソロデビュー。
連載『ハーバードからの手紙』(日経カレッジカフェ)では槇原稔元三菱商事会長、猪子寿之チームラボ代表らへのインタビューで注目。近年では『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ)『あいつ今何してる?』(テレビ朝日)の密着出演でも話題に。
2013年より毎夏大分でハーバード現役生を招いた英語セミナー「Summer in JAPAN」を開催、また講演会とリサイタルを組み合わせた講演演奏会をシリーズ化して実施するなど、演奏活動の傍ら執 筆・教育活動など多方面に事業を展開中。著書に『ハーバード・ジュリアードを卒業した私の「超・独学術」』(KADOKAWA)など。
【ミニコラム】地元の大学生が、廣津留さんに聞いた「目標達成のポイント」

今回は、オンラインで地元の大学生にも公開してインタビューしました。海外で活躍する廣津留さんに対して、大学生からはどんな質問が出たのでしょうか。
大分から世界へ羽ばたくためのキーワードが見つけられたのでしょうか。
過密なスケジュールであっても、一週間のうち1日ないし半日は息抜きの時間を確保するようにしています。その息抜きの時間は、SNSをチェックしたり動画配信サービスを観たり、徹底的に休むようにしています。
他にも、1日のタスクが早く終わって時間ができたらご褒美として好きなことをするようにしていました。そうしてモチベーションを維持していました。

仕事の姿勢というか、親の人間としての姿勢から学んだことはあります。
例えば、私が小さい時は、母は自宅で英語を教えていました。そんな母は、子どもを子ども扱いしないんです。何歳であろうが、一人ひとりの生徒さんをリスペクトしていて、同じ目線で向き合っていました。そうした姿勢から、色んな人へのリスペクトする姿勢や必要性を学びました。

様々な理由が考えられますが、経験から言うと、もしかするとゴール設定が甘いのかもしれませんね。
私の場合、例えば1年後に達成したい目標があるとしたら、半年後までにはこれをやる、3ヶ月でこれをやる、今日はこれをやる、というようにタスクを細分化していきます。目標を達成するための計画なので、それをこなしていけば目標は達成できるはずなんです。
逆に、そのタスクを途中で諦めてしまうと達成はできません。
諦めてしまう理由として考えられるのは、一気にタスクを完了しようとすることです。
自分で立てた計画を順序に沿ってやっていけば、いつのまにか目標は達成されているはずです。
大切なのは、焦らずにステップを踏むこと。そして、そのステップを自分でデザインすることだと思います。

変化に対する柔軟性、つまりフレキシビリティを取り入れることです。
タスクをカチカチに固めるのではなく、今日はあまりできなかったから、明日もう少しやろうといった姿勢ですね。というのも、人生は何が起きるか分かりません。例えば、明日、別のことで大変なタスクが発生するかもしれないし、取り組んでいる課題に思ったより時間がかかることもありますよね。
この時に、今日予定していたタスクができなかったから習慣化できていないと考えるのではなく、もう少し長期的に考えることがポイントです。
今日はできなかったけど、一週間で考えればできるかな、というように、大きめに測る考え方ですね。
大切なのは、最終的な目標を達成することです。
タスク達成の習慣化のためには、几帳面になりすぎないことが継続できるコツだと思います。

周りと比べすぎないことかもしれません。
あとは、周りがなんと言おうと、自分のやりたいことをやることもある意味自信と言えるかもしれません。
人と比べて自らを評価するのではなく、「この分野では自信がある」とポジティブに考えることが大切だと思います。
あとは、悩まないタイプだということも関係しているかも(笑)
悩みがあっても寝たら忘れるんです。悩みすぎないのも自信を持つには重要なことかもしれません。

一般的には、考えてから行動に移すことが多いと思うので、まずは飛び込むということは長所だと感じます。
将来設計といっても、27歳の私にとって、人生設計を語れるほど長く生きてないと思っています。20代は、人生という長いスパンで考える必要がないとも感じているからです。
20代は、知らないことのほうが多いです。知らないうちは、設計図を描くことも難しいですよね。だから、20代のうちはやりたいことをやっていれば、自然と設計図が出来てくるのではないかと思うんです。
設計図を描くための材料を集める期間だと考えて、色んなことに挑戦するのが良いと思います。

私自身、まだ立派な経営者ではないし、家庭も持っていないし、母親にもなっていないので分かりません(笑)
人生設計をするのが好きでないということもありますが、今後、そうしたライフステージに立った時に決断すれば良いことです。そんな時は、その時のやりたいことの優先順位をつけて決めていくと思います。
というのも、人生はタイミングによって考えることが違うと感じているからです。
どんな外的要因があったとしても、その時々で直感的に自分の良いと思う方に判断していく。これは大切なポイントです。
そして、自分で可能性を狭めないこと。
例えば、大学受験があるからピアノを辞めるという選択肢をしたとしましょう。これは、自分の力は100%しかないと考えているから、ピアノか勉強どちらかを捨てる結果です。
ここで大事なのは、勉強も100%、ピアノも100%やれる方法を自分で考えること。
キャリアと結婚、育児の選択に置き換えても同じことが言えると思います。
人間の限界は決して100%ではないので、自分のやりたいことがある場合、それを達成できる可能性は200%にもなりえます。
諦めるのではなく、タイミングごとの直感と、自分の可能性を信じてみてください。
私の人生もこれからです。みなさんのことを心から応援していますし、一緒に未来に向かって進んでいきましょう。