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別府アルゲリッチ音楽祭から始まった
世界的ピアニストとの親交

2022.11/15

別府アルゲリッチ音楽祭シンポジウム『Change The World 〜新しい社会の創造にむけて〜』で、講演会が予定されている芥川賞作家の平野啓一郎さん。クラシックをはじめ様々な音楽の造詣に深い平野さんは、自らの作品『葬送』で天才ピアニスト、ショパンの生涯について執筆しています。同じくショパンを愛するマルタ・アルゲリッチとのエピソードを交えながら、講演会に先立ちインタビューをしてきました。

  

温泉地・別府で開かれる世界的な音楽祭

───別府アルゲリッチ音楽祭へは、ずいぶん以前から来られているそうですね。

もう何度も別府を訪れています。もともと子どもの頃からピアノ曲が好きで、マルタ・アルゲリッチの最初の入り口は私の好きなショパンからでした。国内での彼女の演奏会は別府以外にも足を運んでおり、京都での学生時代にも聴きにいった記憶があります。

1995年開催の『別府アルゲリッチコンサート’95』のパンフレット

───北九州で育った平野さんにとって、同じ九州の別府で開催と聞いて、最初は驚かれたのではないですか。

そうですね。別府は子どもの頃から観光で来る機会は多く、有名な温泉保養地というの認識だったので、アルゲリッチの演奏会が開かれるようになるとは意外でした。大人になって音楽祭をきっかけに家族を連れて訪れるようにもなり、新しい思い出ができはじめています。もちろん音楽祭の演奏そのものにも感動しますが、別府の町をあげて音楽祭を盛り上げていこうという雰囲気が伝わってくるのも気に入っています。ここ数年は大きなホテルのオープンや改装が続き、現代アートのイベントも開催されたりと、魅力的な観光地としてアップデートされているように感じます。

───これまでもっとも印象に残っている年はいつでしょう。

やはり私にとって初めてだった、1999年開催の「第2回別府アルゲリッチ音楽祭」ですね。小説家デビューの翌年で、ジャーナリストの筑紫哲也さん(故人・日田市出身)もお見えになっており、隣でショパンのピアノ協奏曲を聴きました。終了後の打ち上げにも参加させていただき、筑紫さんと一緒にアルゲリッチと話したことは忘れられません。

───別府アルゲリッチ音楽祭では、若手のピアニストにも演奏の機会が与えられています。

ご自身の事だけでなく、後進の育成にも熱心に取り組まれている姿勢は素晴らしく、演奏家にとっても大きな経験となる機会だと思います。特に若いオーケストラと協奏曲を生き生きと演奏するステージは私も何度も聴いていて、別府ならではの企画だと思います。このようにアルゲリッチが総監督を務めるレセプションは、世界にも類をみない貴重で贅沢な演奏会であり、これからも長く続けてもらいたいです。

ショパンの楽曲に“命”を吹き込む

───アルゲリッチさんといえば「情熱的で自由奔放な天才ピアニスト」とよくいわれますが、普段はどういう方なのでしょう。

ご本人とはそれほど親しく話せる間柄ではなく、どちらかといえば3人いらっしゃる娘さんのうち、次女・三女のお2人と仲良くさせてもらっています。特に三女で映画監督のステファニー・アルゲリッチは私と同い年で、彼女と友達になったのも、この音楽祭でした。彼女たちと一緒にいる時は、マルタ・アルゲリッチとフランクにお話させていただくのですが、やはり非常にオーラがある方。それでいて会話もウィットに富んでいて、チャーミングな女性だと感じます。

───深く話し込むこともあったのですか。

しいきアルゲリッチハウスで、アルゲリッチがラヴェルの『夜のガスパール』を弾き、私と次女のアニー・デュトワ(音楽ジャーナリスト)とで詩の朗読の共演をした際には、いろんなお話をさせていただきました。ショパンにまで話が及び、私が「なぜ名作が多いといわれるショパンのバラード集をリリースしないのか」と聞いたところ、「ショパンは難しい。演奏会でバラード第4番を弾くこともあったが、私にはどうもしっくりいかなかった」と仰っていたことが思い出されます。

───平野さんは長編小説『葬送』でもショパンを描かれていますが、アルゲリッチとショパンに何か通ずるものはあると思いますか。

コンサートでショパンはソロで演奏することを好まなかったのですが、そこは共通していると彼女も話していました。もちろんソロでの演奏会もたくさん開いていらっしゃいますが、アンサンブルで他の演奏者と舞台に立つ方が演奏していて楽しいのでしょう。

───小説家として彼女の生き方にインスパイアされることはありますか。

アルゲリッチに限らず、あの年齢になるまでコンディションを維持され、新しい曲にも取り組まれている姿勢は、芸術家として非常に尊敬しています。

混迷の時代に果たせる芸術の可能性とは

───今回、別府アルゲリッチ音楽祭のシンポジウム企画で、講演をされるそうですね。

これまでも「“自分らしさ”とは何か」(2015年・しいきアルゲリッチハウス開館 未来プロジェクト企画)、「音楽と希望〜ベートーヴェンについて」(2019年・未来プロジェクト企画)をテーマにした講演をさせていただきました。今回は、「今、芸術に期待し得ること」と題したテーマを予定しています。コロナ禍や戦争などにより世界が混迷の時代に突入するなか、芸術はどういう役割を果たせるのか、私の実感を交えてお話する予定です。ぜひ一緒の時間を共有していただければと思います。

───アルゲリッチさん自身は、どういう思いで今の時代を過ごされているのでしょうか。

今年も来日されましたし、動画配信という形でショパンのピアノソナタ第三番を演奏されました。彼女なりに音楽家としてどう振る舞っていくか多くは語られていませんが、実践されているのだと思います。コロナ禍でコンサートを生で聴く機会が制限されてきました。もともとクラシックの演奏会の聴衆は静かに耳を傾けるものですし、クラスターの発生事例もないので早い段階から制限は解除されてきました。欧米では既に演奏会は普通に開催されていますので、日本国内でも早くその日が来ることを願っています。

時代は変われど生演奏に勝るものはなし

───コロナ禍もあってか、最近は初めてのコンサートをネット配信から経験する世代も増えてきているようです。

通信インフラが整備され、新たなリスナーを獲得しているのは事実であり、デジタル技術の進化による音質の向上はクラシック音楽ファンにとっても環境が良くなってきています。ショパンコンクールもネット配信で予選から視聴できるようになりました。しかし、コンサート会場で実際の演奏を聴くこととは別の体験だと思います。

───ネットで済ませようという層も増えてくるのではと、音楽業界の将来を心配する向きもありますね。

ネットが普及して、YouTubeが台頭しはじめた頃には、随分とそういった議論が交わされていました。しかし、どちらかといえば音楽産業自体はコンサート収益の方が大きくなり、レコードやCDの売上は落ちています。むしろ私は、生で音楽を聴きたいという傾向が強まっているように感じます。たとえデジタル技術が進化してもホンモノには敵わない。音楽に触れる機会が増えた分、生の演奏が聴きたくなるのは当然のことだと思います。

───平野さんご自身が、最近感動された演奏会は何でしょう。

昨年10月のコロナが落ち着いた時期にラファウ・ブレハッチのピアノ・リサイタルへ行きました。今年5月にはノラ・ジョーンズのライブにも行ったのですが、いずれも素晴らしい内容でした。そういう意味でも、別府アルゲリッチ音楽祭には、より多くの方に生で演奏を楽しんでもらいたいですね。

『Change The World ~新しい社会の創造にむけて~』の告知チラシ

平野啓一郎のオオイタ成分

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)。小説家。1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイに『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『小説の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』、『死刑について』等がある。
2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーとなっている。『空白を満たしなさい』の連続ドラマ化に続き、『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開予定。最新作は、「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする長編小説『本心』。

 

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