表現を楽しむOitan

かやっちにとっての大分は
いつも晴れのち晴れ♪

2022.10/11

実は全国区で活躍する女性アナウンサー輩出県としての横顔を持つ大分県。日田市出身のTBS人気アナウンサーの江藤愛さん、地上波各局で活躍中の大分市出身・杉崎美香さん、中津で幼少期を過ごした女性ジャーナリストの櫻井よしこさんもいらっしゃいます。ローカルアイドルからお天気キャスターとしてお茶の間の人気を獲得した愛称“かやっち”こと阿部華也子さんも、そのひとり。期待の新世代アナウンサーに直撃インタビュー!

  

「好きなお天気キャスター」日本一

───残念ながら大分県では『めざましテレビ』(フジテレビ系・毎週月〜金5:25〜8:00)が放送されていないのですが、「好きなお天気キャスターランキング」(オリコン調べ)で2年連続トップに輝いていましたね。

はい、番組では丸6年、お天気キャスターを務めさせていただきました。今は『めざましどようび』(フジテレビ系・毎週土曜6:00〜8:30)のメインキャスターに就任して、毎日が学ぶことばかりです。

───もともと阿部さんは大分のローカルアイドルグループ「SPATIO(スパティオ)」で活動されていましたが、全国区で人気を獲得した途端に過去の経歴を隠す有名タレントもいるなか、堂々と公言している姿勢には好感が持てます。

SPATIOのメンバーとは今も仲が良くて、よく会ったり、誕生日とかに連絡を取り合ったりしていますよ。当時のことを話すと、ちょっと恥ずかしい気持ちもあるけど、その頃から応援してくれる方もいらして、 私がメディアに出る度にSNSで紹介してくれるんですよ。本当にありがたいですね。

───メンバーともファンの皆さんとも、いまだに深い絆があるようですね。

現在活動中のSPATIOのライブを観に行くこともありますよ。大分でのイベントステージのほか、東京・秋葉原での遠征ライブなどに足を運んだことがあるのですが、その時も当時のファンの方がいらして、長く愛されているんだなと思いました。SPATIOでの活動は貴重な経験だったと、つくづく思います。

大分発ローカルアイドルとしての出発点

───そもそもアイドル活動をするきっかけは?

中学2年になったばかりの時、大分の芸能事務所から登録しないかと声をかけていただいたのが最初ですね。社長さんが先輩のお父さんだったし、学園祭の公式DVD制作にも携わっていた信頼できる方なので、CMモデルなどをやるのかなという気持ちで登録しました。そのうち歌やダンスのレッスンが始まり、一緒にレッスンを受けている子たちと、大分でローカルアイドルグループを結成するという計画を聞かされ、ビックリしましたね(笑)。

───そのメンバー5人がSPATIO一期生なんですね。幼い頃にアイドルになる夢があったのですか?

4、5歳の時にモーニング娘。が全盛期で、人並みに憧れて見よう見まねで踊っていましたが、まさか自分がアイドルになれるとは思ってもいませんでした。大分市の亀塚古墳で開かれる「海部のまつり」で披露される「亀塚音頭」の歌まねをしているホームビデオが残っているのですが、小さな頃から人前で歌うのが大好きでしたね(笑)。

───中学2年から高校卒業までアイドルとして活動していましたが、学生生活はどんな感じでしたか。

普通の中高生とそれほど変わりなかったと思います。部活は、ほんのちょっとだけソフトテニス部に入ってましたが、ほぼ幽霊部員でした。私が通っていた岩田学園は中高一貫の私立ですが、同級生も先生も家庭的な雰囲気があって、いまだに家族同然の交流をしている仲間がいます。このまえ東京で同級生たちと会った時、そこから先生に電話したら「おまえ頑張りよんのー」と言ってもらえて、今も遠くから見てくれているんだなと感激しました。当時の成績に関係なく(笑)応援してくださって、ありがたいです。

アイドル戦国時代を走り抜けた青春

───AKB48を皮切りに「アイドル戦国時代」と呼ばれ、それが地方にも波及していた時期にSPATIOはデビューしました。

当時から衛藤美彩さん(「乃木坂46」卒業生)が在籍していた「CHIMO(チャイモ)」と並ぶ大分発アイドルユニットと呼ばれていました。

───最初のステージはどんな感じでしたか。

2011年のクリスマスイブに開催された「べっぷクリスマスファンタジア」です。凍え死にそうなくらい寒いなか、ミニスカートで踊っていたのですが、当時のビデオを見ると歌もダンスも下手だし、緊張して笑顔もなくて、本当に恥ずかしい。このステージに限っては、封印したい過去です(笑)。

───歌やダンスはすぐにマスターできましたか。

それほど運動神経がいい方だとは思ってないし、今みたいに授業でダンスがある時代ではなかったので、どちらかといえば苦手な方だったかな。でも最近は「アイドルをやっていたから」とダンスを披露する機会があるのですが、当時の方が覚えは早かったみたいですね(笑)。

───もっとも思い出深いライブは?

数えきれないほどあるんですけど、ひとつあげるとすれば九州で一番のアイドルを決める『九州ご当地アイドルグランプリ』で優勝したことですね。九州の有名グループも出場していたのに、一生懸命やってきたことが認められたんだなと、すごくうれしかったです。

───並行してCMや地元雑誌のモデルもされていましたし、指原莉乃さんのミュージックビデオにも出演していましたね。表紙モデルをされている当時の雑誌をお持ちしました(本人に手渡す)。

わー、懐かしい! (大分市)野津原の菜の花畑で撮ったんですよ。まだ中学2年生だったんですよね。初めての表紙モデルで、両親も同行しての撮影でした。私が何かをやろうと言いだしたら、両親は常に応援してくれる存在です。どちらかといえば、どんどんチャレンジしろという感じですかね。進学に関しても、私は地元大学にと思っていたのですが、「若いうちに東京を見ておけ」と言われたし、お天気キャスターの仕事を始める時も応援してくれました。ただ事務所に所属するとなった時は、父親が東京まで来て、じっくりと将来についてお話をしましたけど。

“皆既月食”を言い間違えてしまいました(汗)

───早稲田大学文学部に進学されましたが、卒業後はアナウンサーになりたいとか考えていたのですか。早稲田といえばアナウンス研究会といったサークルも有名ですものね。

いえ、特に普通の学生生活を過ごして、普通に就活するのかなと思っていました。でも、バイト先の店長さんが男女の大学生を紹介するサイト『美学生図鑑』のカメラマンをされていて、そのサイトで私を紹介してくれるようになったんです。そこで将来の話になった時、漠然と「アナウンサーになれたらいいかな…」と話したら、いまの事務所の関連会社を紹介してくれたんです。

───現在所属しているセントフォースといえば、多くの有名女性アナウンサーが所属する大手事務所ですよね。

こんな大きな事務所に入れるとは思っていなかったのですが、アットホームな事務所なので、すぐになじみました。大先輩のアナウンサーに指導してもらえたりして、すごく勉強になりました。今は後輩も出来て、私が教える立場にもなりましたけど。

───お天気キャスターとしてのお仕事はいかがでしたか。

最初は気象予報士さんが書いてくれた原稿を読むのに必死でした。いろんな失敗もたくさんあって、「今夜は“皆既月食”が見られます」と伝えるところを“怪奇現象”と言ってしまい、それを受けてネットが大賑わいとか(苦笑)、反省しています。いまはお天気キャスターから離れていますが、ふとしたときに空を眺めて毎日の天気を気にするようになってますね。

───東京オリンピックの時期には大分から中継がありましたね。

聖火ランナーではなかったのですが、番組の企画で大分県庁の周辺3キロを走りました。気持ちよかったですね。大分以外でも日本全国をまわるロケが経験できたのは、いい思い出になっています。

標準語も大分弁も喋れるアナウンサーです

───大分弁と標準語で苦労したこともあるのでは。

九州の中で大分弁は比較的標準語に近いとも言われていますが、ちょっとした訛りなど、注意しなければいけないことが結構あるんです。たとえば、冒頭の数字部分にアクセントをつける「100円」は間違いで、“円”の方にアクセントをつける「100円」が正しいのです。

───うわー、これは間違えてしまいそうですね。でも番組の企画で、大分弁を喋る場面もよくありましたよね。YouTube『かやちゃんねる』でも大分弁講座をやっていますし。

制作の方から、方言を喋ってほしいと言われたんですが、大分出身の人たちと話している時は自然に出てくるのですが、いざ敬語を交えて喋るとなると、なかなか出てきませんね。大分弁を使って敬語で喋るように言われても、恥ずかしいからなのか、ムダに大げさな表現になったりして(苦笑)。いまだに家族とほぼ毎日電話で話しているので、大分弁を忘れる事はないのですが…。苦労したっちゃ、苦労しましたね。

───2022年4月から『めざましどようび』のメインキャスターに抜擢されました。この話を聞いた時の心境は、いかがでしたか。

お天気キャスターの卒業と、ほぼ同時期に聞かされたので、「寂しい」という気持ちと、「ビックリ!」という気持ち、そして「できるのかな?」という気持ちが入り混じり、最初はすべてを飲み込めませんでした。

───学生時代から社会人になるまでの6年間を務めましたからね。

今日に至るまで、私のアナウンス技術はお天気キャスターから始まっていて、そこで学んだことはたくさんあります。情報をお伝えするという意味では同じですが、新しく与えられた環境の中で、初心に戻ってゼロから作り上げていかなければという気持ちでいっぱいです。

───メインキャスターになるとお天気以外のことも話さなければなりませんからね。

そうなんですよ。時事問題からエンタメ、スポーツまで、あらゆるテーマを勉強しておかなければならないし、話す内容によってメリハリもつけなければなりません。基本的に台本が用意されていますが、台本なしで発言することも多くて、おかしなことは言えません。朝3時に起きて局まで行くのですが、まずは新聞を読み込む習慣がつきました。

大分に帰った時はアクティブに出かけます

───里帰りはよくするのですか。

お天気キャスター時代は毎週ほとんどの日に東京にいなきゃいけなかったんですが、いまは週末のオンエアだけなので、よく帰ってますよ。

───地元の人たちと話す機会もあるのですか。

そうですね。パークプレイス大分へ行ったら、たまたま今のSPATIOがライブやっていて、思わず声をかけてきました。SPATIO時代に知りあった方も多く、たとえば現場で一緒になった大野タカシさんとか、今でも連絡をいただけることがあります。当時はサインをもらえて喜んでいたのを思い出します。

───大分に帰ったとき、よく立ち寄るところはありますか。

湯布院の金賞コロッケは、必ずと言っていいくらい食べに行きますね。金賞コロッケを食べることだけが目的で湯布院に行くこともあります(笑)。他にもたくさんあるけど、久住ワイナリーのピザが好きでよく行きます。こちらのワインも美味しくて、お取り寄せすることもあるんですよ。あと、キャブテンズインというステーキハウスも最近のお気に入りです。こうやって見ると、すべて食べることばかりですね(笑)。

───子どもの頃から県内の観光地へはよく足を運んでいたのですか。

両親がドライブ好きなので、結構あちこち行ってる方かな。どちらかといえば自然を楽しむアウトドア派で、近場では七瀬川自然公園とか、みどりマザーランドとか、なじみの場所でした。マザーランドのふれあい牧場でヤギやウサギに餌をあげていた頃が懐かしいです。

───大分出身の女性キャスターはたくさんいますが、同じ道を目指している後輩たちにメッセージを。

私自身がキャスターを目指して特別な努力をしてきたわけではないのですが、何か伝えるとしたら、今しか出来ないことに後悔することがないように打ち込むということでしょうか。私はSPATIOとして活動したことに誇りを持っていますし、何も知らなかった時期にいろんな場所に行って、たくさんの人に出会えたことから得たことに価値があると思っています。私自身もこれからいろんな課題と直面することもあるでしょうが、この経験から学んだことを生かしていきたいですね。

阿部華也子のオオイタ成分

1996年、大分県大分市生まれ。岩田中学時代に地元芸能事務所に誘われ、ローカルアイドルグループ・SPATIOとして活動。2015年に早稲田大学文学部入学。在学中の2016年に『めざましテレビ』(フジテレビ)お天気キャスターに就任。爽やかなキャラクターが指示され、「好きなお天気キャスター」に2019年、2020年と2年連続首位を獲得。2022年4月からは『めざましどようび』(同)メインキャスターとして活躍中。
YouTube『かやちゃんねる』 
https://youtube.com/c/abekayako

 

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