わさおと出会い、昆虫にハマり、
ガーナで棺桶づくり!?
メレ子の旅は、まだまだ続く


“ブサかわ犬”と呼ばれ、映画化もされた秋田犬の「わさお」。残念ながら2020年6月8日に虹の橋を渡ってしまいましたが、そのヘンテコな名前の名付け親である別府市出身のエッセイスト、メレ山メレ子さんをご存知ですか? 東京大学法学部卒で、都内で会社勤めをしながら文筆活動も行う彼女。昆虫大学(実在の大学ではありませんので念のため)の学長に就任したかと思えば、ガーナまで行って自分の棺桶をつくり、言葉のチョイスにセンスが光るエッセイでは独自の“メレ山文体”が踊ります。メレ山さんのご自宅、別名・メレヤマンションを訪ねてきました。

───メレ山さんは持ちネタが多いので(笑)どこから話していいかわからないのですが、まずは高校まで過ごした大分時代のお話から。別府生まれということで、子どもの頃から温泉は身近な存在だったのでしょう。

別府では自宅に温泉を引いている家庭が多く、我が家もそうでした。毎日温泉につかっていたわけですが、身近すぎて逆にあまり意識することもなくて。市内にたくさんある市民温泉へ行く機会も少なかったですし。最近は帰省した時に立ち寄ったりして楽しんでいます。
───著書『メメントモリ・ジャーニー』で、竹瓦温泉に入ったことを書いていましたね。

熱かったですね(笑)。そこから別府の路地を歩いたのですが、私が子どもの頃に見ていた別府とは少しずつ変わってきているなと思いました。カフェや雑貨店など、いわゆる観光客向け!というより、生活している人の中にしっくり溶け込んでいるし、活気も増している印象。マイケル・リンの襖絵が展示されているセレクトショップにも行きました。
───アートNPOのBEPPU PROJECTが手がけた『混浴温泉世界』が残したものは、たくさんありますからね。東京の職場で、今の別府の話題が出てくることもあるのですか。

ありますよ。入社したばかりの年に、会社の同期を連れて地獄めぐりを案内したこともあったし、中国・上海支社に赴任していた時も社員旅行で別府に立ち寄ったこともありました。APU(立命館アジア太平洋大学)の卒業生がいるんですよ、東京本社にも上海にも。二人とも別府に住んでいて楽しかったと懐かしんでいます。
───それはうれしいですね。別府の町が変わってきたのは、彼らの力も大きいですよ。別府で起業した卒業生も多いですし。

私が高校生の時にAPUが開学したんです。別府市民としては「あんな山の上に留学生を集めてどうなるんだろう」「騙された!と思うんじゃないかな」と心配してました(笑)。ところが今は、別府のまちを盛り立てることに一役買っている。いいことだと思います。インバウンド需要が復活したら、ますます彼らの存在感を発揮できそうですね。

───別府市内の中学を卒業後は、大分市の大分東明高校の特進コースへ進学したのですね。

毎朝、母に自宅から車で別府駅まで送ってもらい、電車の中ではひたすら英単語を覚える日々でした。でも大分駅から繁華街を抜けてたどり着くまでの通学路は、結構面白かったんですよ。私は4人姉妹の3女なんですが、全員が東明高校に通っていました。朝早くから夕方までしっかり勉強させてくれましたが(笑)、厳しいけど楽しい先生が多くて、居心地は悪くなかったです。東京に住んでいて、学費や教育環境に苦労する“お受験”にまつわるお話を耳にする度に、特進コースのサポートは恵まれていたなとつくづく思います。
───特進コースだと、部活とかに青春を捧げるクラスメイトは少なかったでしょう。

ほとんど居ませんでしたね。もともと私は運動がまったくダメなので、それはそれでよかったんですが。本はよく読んでいました。といっても作家名で読むというより、たまたま家にあった小説とかですが。
───そこから個性的な「メレ山文体」の素地が培われたのかもしれませんね。作文コンクールなどでも入賞を期待される常連だったのでは。

どうでしょう。ああいうのは先生たちが期待する文章じゃないとダメですからね。自由に書くようになったのは、鬱屈していた頃に書きはじめた旅行記ブログからです。
───東明から東京大学法学部へ進学されましたが、弁護士を目指していたのですか。

特に強い意志があったわけではなかったのですが、せっかく法学部に入ったのだから、手に職をつけたい気持ちはありました。結果的に司法試験では箸にも棒にもかからず、一般の会社へ就職するのですが…。今はそのほうが自分に合っていたな、と思います。

───お父さんは、どんな方なんですか。

運転が好きで、子どもの頃はよくドライブに連れていってくれました。片道2〜3時間くらい車に揺られて、どこに連れて行かれたかはよく覚えていない場所も多いんですが(笑)。でもキャンプは毎年行ってました。佐伯の番匠川にテントを張って、ガサガサで採ってもらったドンコやオイカワを家で水槽に入れて飼っていましたね。
───旅や昆虫など、メレ山さんの嗜好は、お父さんの影響があるのかもしれませんね。

帰省した時、「姫島のアサギマダラを見てみらんかえ」と提案してくれたのも父でした。姫島へは、何度かカメラを持って撮影に行ったことがあるそうです。父は虫ではなく、鳥の写真をメインに撮ってたんですけどね。
───著書『ときめき昆虫学』の冒頭にあった別名「旅する蝶」のエピソードですね。蝶が舞う写真は幻想的でした。

同じ虫好きの姉や母もちょうど帰っていたので一緒に行こうとなり、フェリーが出る伊美港まで車を運転してもらいました。高校時代は姫島にアサギマダラが飛来するとか全く興味なかったのに、現地で本物が舞っている姿をみたら、すごく素敵な光景でした。なかなか見られないとも聞いていたんですが、タイミングがよかったみたいです。
───大分県の昆虫は、虫好きの皆さんにとってどうなんですか。

写真家や研究者に聞くと、九州には良いフィールドがいろいろあるそうですよ! 水が綺麗ですから湿地帯の水生昆虫や、久住の高山植物に来る昆虫なども観察してみたいですね。別府には温泉ならではの環境に棲む昆虫もいると聞きました。

───「女性は虫や爬虫類が苦手」と一般的な認識がありますが、最近はそうでもないみたいですね。

虫好きな女性が妙に肩身のせまい状況になりやすいだけで、イベントに来てくださる女性は好奇心にあふれた方が多いですよ。虫が身近でない環境に育つとやはり苦手になってしまいやすいので、今後は女子も男子も苦手な人の割合が増えていってしまうのかもしれません。私は両親が昆虫採集に連れていってくれたから、抵抗がないのだと思います。虫の不思議な色や形は魅力的ですしね。

───ブサカワ犬・わさおくんを命名したことで、有名な旅ブロガーになりました。そのブログには、虫もよく登場してましたよね。

旅先の野原や森で会う虫たちをカメラで撮り始めたことから夢中になり、ブログでもアップしていくようになりました。
───虫好きが集まるイベント「昆虫大学」を立ち上げて、学長になるくらいですからね。

自分には専門的な知識はないのですが、だからこそ専門家から虫の魅力を教わるイベントにしたいなと思っています。ベトナム・ハノイのクックフーン国立公園に旅した時、雨季の森で見た巨大ナナフシや蝶の大群に興奮してブログに書いたら、有名な昆虫写真家の海野和男さんの目にとまって、チョウ類保全協会からの寄稿依頼などをいただいたところから虫好き仲間が増えたんです。

───「昆虫大学」が運営するイベントは洒落っ気たっぷりで楽しそうですね。

基本的に2年に1回開催しています。今年はコロナで予約制にしたのですが、2日間で1,150人の来場者を数えました。虫柄の服や虫をモチーフにしたクリエーターグッズの物販のほか、研究者による展示や講演など賑やかです。元ヤンキーの「日本野虫の会」とよさきかんじさんが作った昆虫特攻服を着て記念撮影できるスポットも人気ですよ。
───イベントで発行する同人誌「昆虫大学シラバス」は、虫に興味がない人も読み込んでしまうコーナーが満載です。

校歌や校章の披露にはじまり、研究者による最新の知見を紹介する寄稿文から虫モチーフのファッションやコスプレを楽しむ「オシャ虫」企画とかもありますからね。虫そのものの魅力だけでなく、好きなものに出会って人生が楽しくなる喜びを感じていただければと思います。

───ところで、ご自宅の部屋にデーンと構える棺桶についてお聞かせください。なんでもアフリカのガーナで作ったものだそうですね。

いまはテーブルがわりにしているコレですね。もともと大阪にある通称「みんぱく」こと国立民俗学博物館に行ったことが始まりです。
───「民泊」ではなく「民博」のほうの「みんぱく」ですね。

そうですね(笑)。そこで見たのが、エビの形をした装飾棺桶です。それもポップでカラフルな色合いの。ガーナのある地方では、遺族の注文で故人の好きなものや職業にちなんだモチーフで、装飾棺桶を作るんです。たとえば漁師だったら魚の形だったり、タバコ好きはタバコだったり、欲しかった携帯電話だったり、映画の映写機だったり…。
───日本の葬式は厳粛なものですが、なんだか明るいですね。

家族にとって重要な行事であることは変わりません。でも人生最後のイベントを飾るのに、脱力感のある強烈なインパクトは素敵だと思い、ガーナまで行って自分の棺桶を作ろうと決心したのです。当時、制作や渡航・輸送費用のクラウドファンディングも募ったところ、150名もの皆さんから「クラウドお香典」をいただきました。
───装飾棺桶に注ぐ情熱が凄まじいですね。日本人で作った人も珍しいでしょうに。

製作は現地コーディネーターの方から棺桶職人を紹介してもらい、事前にラフスケッチとサイズをオーダーしておきました。製作期間は20日ほどですが、私が現地に行ったのは製作開始から10日くらい経った頃で、棺桶作りの進捗状況を見守るため棺桶工房に通う毎日でした。

───で、メレ山さんの棺桶のモチーフは?

ポテチです。

───ポテチ? ポテトチップスのことですか!?

そうです。「虫の棺桶にしないの?」とも周囲には言われたのですが、身のまわりの虫に人生を捧げた人たちを見ていると、とても自分には恐れ多いなと……虫以外の生きものも好きですし。思春期には虫から離れていた時期もあったので、一貫して好きだったものって何だろう?と考えたら、浮かんできたのがカルビーのポテトチップス・うすしお味だったんですよね。私の意味のない人生の最後には、意味のない棺桶がお似合いなのです。
───説得力があるような、ないような…。

でも、ペラペラのポテチをカタチで表現するのは難しいでしょうから、本体はジャガイモの形にして、端にスライスを入れて表現。さらにジャガイモの上はカットしてローテーブル仕様にして、クラファンで募集した広告をペイント。ポテチの袋を持ったメレ子人形も作ってもらいました。棺桶は「ポテト・コフィン」と名付けました。
───カンペキですね!

棺桶の中に入ってみたのですが、輸送費を抑えるために小さめに作ってもらうようにオーダーしていたので、膝を折り曲げないと入れませんでした。実際に使うときは遺言で屈葬にするよう伝えておく必要がありますね(笑)。中に入ると棺桶そのものは柔らかな木質で、ガーナの木の香りがしました。
───どうやって日本まで輸送したのですか?

本当はうまく梱包して、一緒に持ち帰る計画だったんですが、直前の空港でチェックインを断られて飛行機に積んでもらえず、後日、貨物便で日本に届きました。引っ越し前だったので、しばらく編集者の方に預かってもらった後、いまここにあるという流れです。自分の棺桶が届いてからは、「限りある命をよりよく生きよう」と思うようになりました。
───近著の『こいわずらわしい』では、恋愛をテーマに書かれてますね。失礼ながら最初は意外に感じたのですが、人から聞いた微妙なデートの話とか、中高生時代は恋愛の噂話が好きだったとか、女好きの男友達の話とか、気がついたら面白ネタに引きずり込まれていました(笑)。東大のインカレサークルの話とかも。

入学して間もない頃、いろんなサークルから勧誘があったのですが、その中で男子は東大生限定、女子は他の大学から集めてくるという露骨なテニスサークルが存在したという話ですよね。「九州は男尊女卑が酷いんでしょ?」と言われることもありますが、上京して見たあの光景のほうが、私には衝撃的でした。

───欲望が渦巻く感じマンマンですもんね。『こいわずらわしい』に話を戻すと、だんだんとメレ山さん自身の恋愛話になってきて、読んでいるうちに私までトキめいてきました(笑)。そして最後は、歌人の穂村弘さんとの対談とは。

穂村さんとは、資生堂の広報誌『花椿』の企画でお会いしたのが最初で、この本で特別に対談企画を組んでもらいました。最初に会う前に女友達へ「穂村さんと会う」と話したところ、すごい反応があって。私も最初は「なーにがほむほむだ!! ワシャ屈せんぞ!」とのぞんだのですが、もうその素敵さに舞い上がってしまって(笑)。その辺の様子も、『こいわずらわしい』に書いてありますのでぜひお読みください。
───テーマが「旅」「昆虫」「恋愛」と続きましたが、次に書きたいものはありますか。

まだ特にこれといったテーマは絞り込んでいませんが、最近は磯遊びにハマっています。磯遊びの拠点としての「磯ハウス」を探しているところなのですが、自然科学趣味の人の家づくりにも興味があります。機会があればまた本を出したいですね。

公式サイト https://mereco.jp
